読み始めたら止まらなくて一気に読んでしまった。とにかく偏見なく飛び込んで誰とでも打ち解ける著者ならではのエピソード満載。ジプシーに対する独自の解釈もとても素敵。今に生きて、ひたすら濃く生きて、過去にも未来にも生きない。飲んで踊って家族を大事にする。シンプルだけどできるようでできない暮らしをする彼ら。
職人やミュージシャンになるなど手に職をつける人が多いのは移動するからで、家にも土地にも興味がないのは彼らが生まれながらの旅人だから。今の世の中完全に生きづらいだろうなあ。税金取る側からしたらやりにくいだろうし。ヨーロッパではめちゃくちゃ嫌われて蔑まれている。かくいう私もパリのメトロで物乞いをして稼いでいるイメージが強かった。
でも生き方としては最高だと思う、10代前半で結婚して子供をもうける点を除いては。フリーランスとして何か技術を持って、旅をしながら暮らし、踊ってストレス発散なんて、なんか自分の目指していたものと近いように思う。
以前南フランスのSt Marie de la Merでジプシーが集まるお祭りがあるというので、それに合わせて行った際、本物のジプシーたちをこれでもかと見て、不思議な魅力を感じたのを思い出した。とにかく尋常じゃないくらいギラギラしている彼ら。ほかに形容し難いのだけど、これまで見たどんな民族よりもとびきりギラギラ(キラキラでなく)していた。
彼らが演奏する音楽は重厚で意識下に入り込んでくるようなインパクトがあった。女たちは肉感的で、なんというか、触ったら火傷するよ!というオーラをまとっていた。一般人とジプシーの区別は、そのオーラでついた。ギラギラ感の度合いで、向こうから歩いくる人がジプシーかどうか判別できた。身なりが貧しいとかそういう基準でなく。
この本を読んで、あのギラギラの正体がわかったような気がした。生きることへの貪欲さ。それは同じように奴隷扱いされて虐げられてきたユダヤ人とは違う。自分たちの国とか土地を欲するのではなく、ただ今を思い切り生きるということへの貪欲さ。
踊りが好きで、定住してもなんだか根を張れないのは私も同じ。これはちなみに母譲りなのだが、祖先のどこかにジプシーの血でも入っているのだろうか。
My Stroke of Insightみたいに、専門家が脳梗塞により専門領域の障害をかかえてしまうというところから始まる手記及び関係者の記録。専門的でありつつ読みやすい。脳梗塞は適切な処置・治療をほどこし、リハビリをしっかりするなどの努力があればここまで回復できるのかと思った。
また何事もビジョンを持ち目標を定めると体がついてきてくれるというのは私自身大けがから回復するときに身を持って知ったが、脳を司令塔とする体の神秘にただ驚く。脳がいかにイメージや感情などと連携していることか、それを西洋医学的にアプローチすることのある種の無意味さ、普段何気なくできていることの高度さが分かって、私こんなに素晴らしい身体の中にいていいの?と思ってしまった。
これを一人一体与えられて生まれてくるんだから、傷つけあうなんてもってのほか。頭をたたいたり、虐待したり、また争いごとで負傷させたりっていうのが、どれだけの損失か、今一度考え直し、体をきちんと扱う必要があると思う。でないと罰当たり。
右脳の機能の大切さを痛感する。『My Stroke of Insight』を思い出す。人間は情報処理をする機械じゃない、もっと高尚な生き物なんだということ。音楽の力、物語の意味、そういう普段見過ごされているものが実はとても大事な役割を担っていることを気づかされ、安心する。
それにしてもこういうトゥレット症候群とかの症例を読んでいるとあまり他人事のような気がしないのはなぜだろう。病気のレベルに達しなくても、誰もがどこかに歪みを抱えていて、うまくバランスをとって生きているんだけど、こういう本を読むと自分の歪みに気付かされる。見る人が見たら病的だと思うのだろう。