2015年3月4日
トゥーマスト ギターとカラシニコフの狭間で (スイス/2010年)
う〜ん渋いチョイス、アップリンク!すごくいいドキュメンタリーだった。サハラの遊牧民トゥアレグ族が、国境線を引かれたことで5つの国に分かれてしまった。それだけでなく、ニジェールでウランが採れることが分かった為に、彼らの土地をフランスの原発会社に国が勝手に譲渡してしまった。近隣住民の間では被曝による健康被害が続出。多くの難民が近隣諸国に向かったが、マリに至っては彼らを虐殺。
抵抗しないとやられっぱなしというので自衛と自治権の要求のためにカラシニコフを手に戦った。そんな中で銃の代わりにギターを持ち、音楽で表現し訴える動きが始まる。今では彼ら、トゥーマストというバンドは銃を捨て、音楽だけで自分たちの状況を訴えている。
西サハラは色々な民族が中央政府に抵抗して荒れているエリア、というような印象をなんとなく持っていた。でも彼らの主張を聞くと見える世界は全く違ってくる。
自由、自由、と何度も言っていた。でも彼らの遊牧民として伝統的に生きる自由を奪ったのは、国民の自由を基本的人権として尊重しているはずの国々の企業だ。そしてミュージシャンとなったトゥーマストはパリで暮らしている。いずれ故郷が平和になったら戻りたいと言いつつ、フランスでの言論の自由に感謝している。皮肉というかなんというか。
トゥアレグはアラブにも文化を押し付けられたと言っていた。イスラム教と彼らの価値観は、特に女性に関するものは、正反対だ。もっと知りたいなあと思った。何しろ音楽もダンスもすごい引力を持っている。夜、砂漠に集まってのライブ。ラクダに乗って優雅に現れる男たちのシルエット。自分の前世があんな風な誇り高い砂漠の男だったらな〜と夢想するほど、エキゾチックで素敵だった。
2015年2月24日
ナショナル・ギャラリー 英国の至宝 (アメリカ・フランス /2014年)
たっぷり3時間強もある、なが〜いドキュメンタリー。ロンドンのナショナルギャラリーが舞台で、そこの学芸員たちによる名画の解説、修復に関するトリビア、運営の舞台裏、絵を鑑賞するお客さんの顔、バレエといろんなものが盛りだくさんでめちゃくちゃ渋い。普段美術館に行かない人が見たら多分苦痛以外の何ものでもない。でも普段美術館に行く私はかなりの空腹と尿意に襲われはしたものの眠気には襲われず、最後まで楽しむことができた。
会場は満席、平均年齢は65超えていたと思う。どうやら私のテイストはかなりシニア寄りのようで、いつでも趣味のお出かけ先には年上の方々が。ともかくこの映画を見た翌日、上野の『新印象派展』へ。ナショナルギャラリーにあった作品とは時代が違ったけれど、新たに知識を仕入れてからだと更におもしろく鑑賞できた。
2015年2月9日
かみさまとのやくそく〜胎内記憶を語る子どもたち〜 (日本 /2013年)
この映画、渋谷のアップリンクで1年も上映されているロングラン。素晴らしいメッセージが込められている。映画を見ているというより、自分もその場にいるような気持ちで子供たちの話を聞き、インナーチャイルドのワークをする感じ。
スピリチュアルとか苦手でも、物質的なものしか信じていなくても、子供たちが一様に語る生まれる前の世界の話は事実として受け止められると思う。子供たちはただ覚えていることを、自分の言葉でしゃべれる年齢に達したら普通に話し始める。
それを聞くかどうか、頭ごなしに否定するかどうかは大人次第。
子供の言うことは人生のマスターのような、素晴らしい内容で、すごく合点が行く。希望も持てる。自分をもっと大事にしたい、そのままの自分を守ってあげたいと思うと同時に、周りの人に、赤の他人にすら、すごく優しい気持ちになれた。海外の人にも見てもらえればいいのにと思った。きっと似たような記憶を持った子供がたくさんいるだろうし。そこには宗教の違いも何もないと分かるだろうし。
たまたま監督の舞台挨拶があり、この方はすごく純粋な気持ちで作品を作られたんだなあと感動。念願叶っての映画館上映、それが1年も続き、やっと舞台挨拶ができたことに泣いておられ、私ももらい泣き。
2014年3月27日
LIFE! (アメリカ /2013年)
僻地へ長い旅に出たくなった。旅は非日常だから、「今、ここ」を強く意識しやすい。ストーリーを通して主人公が魅力的に変わって行くのが素敵。映画自体は気持ちよくきれいにまとめてあって、そのおしゃれさがベン・スティラーらしい。
2014年1月8日
鑑定士と顔のない依頼人 (イタリア /2013年)
ウィーン、プラハなどヨーロッパの美しい都市の映像が入り込んで来るのが印象的。ストーリーも引き込むし、主演のジェフリー・ラッシュがはまり役。全体のトーンが不思議と残るような、大人の映画。
2013年8月5日、大韓航空にて。
Upside Down (アメリカ /2012年)
監督の名前はJaunだから公式サイトにあるファンでなくホアンとするのが適当なのではないだろうか。キルスティン・ダンストの顔がとことん北欧で、北欧家具っぽい自室のベッドに寝ているシーンがとにかく北欧だな〜と思った。 ジム・スタージェスは『クラウド・アトラス』に続きここでもアダムという名の役を演じている。せっかくの肉体美なのにお披露目なしで残念。ちょっと抜けた感じの役で、『クラウド・アトラス』の時の方が断然セクシーで良かった。
映画自体は絵画のように美しいシーンがいっぱいあった。これ飛行機の小さい画面でなく映画館で見ればもっと楽しめるのかもしれない。けど、公式サイトにあるみたいな「甘くて切ない」っていう感じにはちょっと足りない。てゆうかいまどき甘くて切ないって言葉よく使えるなあ。すごい古いセンス!
色々と無理やり感あふれる設定だったし、あまり入り込めないまま終わってしまった。娯楽映画レベル。キルスティン・ダンストの魅力がさっぱり分からないので(さすがに『Virgin Suicides』のときはきれいに見えたけど)、なんで彼がそこまで身体はって会いに行くのかとか超疑問。恋愛ものは難しいねえ。
2013年8月5日、大韓航空にて。
Stoker (邦題:イノセント・ガーデン) (アメリカ、イギリス /2013年)
なんか歯切れの悪い作品だった。中盤から期待していた方向からずれ、なんだかわけが分からなくなり、せっかくセンスがいい映像なのに残念。
インディア(ミア)の服が、マーガレット・ハウエルとmiu miuの中間のような感じでかわいかった。ニコール・キッドマンは見ていて好きな女優さんだけど、ちょっと整形跡が厳しい年齢になってきたなあ。でも赤毛が素敵。
叔父チャーリー役のマシュー・グッドは怖すぎる。最初から胡散臭さいっぱいで、もうちょっと健全な感じの役者でもよかったのではと思う。ストーリーは途中からも〜はいはいって感じの流れになってきたのが残念。最初はいいんだけどなあ。
2013年7月12日、シアターキノにて。
私が靴を愛するワケ (フランス、アメリカ /2011年)
南米以来ハイヒールから遠ざかっていたけれど、今のうちにはいておかないと老け込んでしまいそう、と危機感を持った。以前は7センチのヒールで走ったり踊ったりしていたし、フラットシューズを持っていなかったのに、いつのまにかフラットしか持っていないという事態になってしまっている。これはまずい。
ハイヒールというのは不思議なものだ。この映画の中でいろんな専門家がいろんな解説を試みるが、誰もはっきりと言えない。なぜ一部の女性が靴を偏愛し、コレクションしたがるのか。それでトロントにある靴の博物館、BATA Museumの職員がインタビューに答えているのだけど、なぜか字幕ではBETAになっており、何回も私の目が悪いのかと思って見なおしたが、やはりBETAと書かれていた。固有名詞を間違えるなんて・・・。
私は靴フェチではないので、へーそうなんだ、くらいの距離感で見ていたけど、好きな人はもう共感の嵐なのではないだろうか。
本作の中で何度か、ヒールをはきこなすこと、ちゃんと歩くことへの言及があるが、これは日本人のよろよろと歩いている女性たちに向けた大事なメッセージ。無理に10センチくらいのヒールをはいて、さも痛そうにそろそろ歩く女性は見るのも嫌だし、おかしな姿勢のせいで内側にまがってしまったヒールなど、嫌悪感をもよおす。美意識のない人なんだなと思う。飲んだら吐くなじゃないけど、よろけるなら履くなと思う。ヒールを履いて家を出たなら痛みをこらえて颯爽と歩くぐらいの心意気を持てと言いたい。さらに言えば夢遊病患者のような歩き方の女性も多いが(ぞうりの感覚なのかもしれないが)、それではどんなハイヒールも台無しだし、だからお尻のたれた女性が多いのだと思う。
この映画で強く感じたのは、ハイヒールは洋服の文化の一部であり、長い歴史と価値観に支えられたものなので、和服文化の日本人がいきなり真似して取り入れたところで理解しきれていないであろうこと。だからヒールでよろけるのが女らしいと思うような勘違いがあるのかもしれない。それは非常にアジア的だと思う。纏足みたいな。ハイヒールという不安定なものを履きつつ自分の動きをコントロールするのが本来の履き方だと思うのだけど。それができないならフラットを履くべき。
2013年3月29日、シアターキノにて。
ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ (アメリカ /2011年)
昔雑誌で見たリチャード・アヴェドンの写真が登場して驚いた。そうかあれはダイアナが仕掛けた作品だったのね。上質なアートを誌面で展開していたんだなあ。単なる服でも小物でもなく、アートとしてのファッション。
日本にはそういうカルチャーがないから、いつもパーツとしてしか捉えないから、それで全体的に誌面の使い方もちまっとしてる。10代を過ごしたパリでいつもファッション誌を買っては、ふくらむイメージの大きさを楽しんでいた。反対に日本のファッション誌を読むとネガティブな気持ちになったのを覚えている。
こんなに小さいところにはまらないといけないんだ、日本って、と思った。小さく小さく区切ったページ一面に人形のようなモデルや小物が並べられ、通販カタログみたい。今や日本のファッション誌は通販カタログになってしまっているし、むしろ通販カタログのほうがレベルが高いくらいかもしれない。出発点が出発点だからしょうがないのかな。
今ある雑誌のベースはダイアナがつくったといっても過言ではないのだなあ。じゃあアナ・ウィンターのやってることは二番煎じ?『プラダを着た悪魔』でコートをアシスタントに投げることすらもダイアナへのオマージュ?笑
とても刺激的でいい映画だったけど、ファッション好きな人がコートを投げるのはいただけない。あと、ダイアナの「女の子はきちんと化粧して完成されたときが一番きれい」という発言には共感できず。女の子はキメキメよりも、だら〜っとして隙があるときが一番きれい。
1回目:2013年3月15日、シネマフロンティアにて。2回目:2013年4月
クラウド・アトラス (2012年)
ナレーションが「今日は・・・15日金曜日」でスタートするのでびっくりした。公開初日の15日金曜日の朝一番に見たので。
ウォシャウスキー兄弟・・・恐るべし!すごい衝撃!マトリックスのときもすごいインパクトをくれたけど、今回は感情的なところにも響く。
同じ人物の生まれ変わりを別の役者がやり、同じ役者が何度も違う役で出てくる割にはその役者と魂は毎度同じわけではなく、結構頭使いながら見ないといけないので、もう一回見に行く予定。何度でも見たい。しかしこの映画、予告編もあわせると3時間を超える。途中トイレに立つお客さんがちらほらいたので、座る場所を選んだほうがいいかも。
原作も読まなくちゃ。
2013年1月3日、シネマフロンティアにて。
レ・ミゼラブル (イギリス /2012年)
子供の頃から大好きだったレ・ミゼラブル。映画化されるたびにチェックしていたんだけど、ミュージカルは見たことがなく。なのでちょっと解釈の違う感じというか、若干入り込めない部分、違和感を覚える部分があったけれど、これはこれでいいんじゃないでしょうか。個人的にはジャン・バルジャンはリアム・ニーソンが演じたときが一番はまっていたと思うけれど。ヒュー・ジャックマンはチャーミングなジャン・バルジャンで、それもありだな、と思った。
しかしなぜ革命のシーンに目のシンボルが登場するのだろう。すごく唐突に出てきて、数回役者の後ろで主張してた。どういうメッセージなわけ?
この話自体は何回読んでも、見ても、ジャン・バルジャンに対して「おとーさーん!!」と叫びたい気持ちになる。絶対的な父性愛のシンボル。
見終わって印象に残るのはなぜかヘレナ・ボヘム・カーターと、その夫役で、ティム・バートン似(?)のサシャ・バロン・コーエン。強烈でかわいかった。それからエポニーヌ役の子はウエストが細すぎないだろうか?何度も目の錯覚かと思った。けど歌がすごく上手かったし、コゼット役のアマンダよりもいい役者だな〜と思った。マリウス役のエディ・レッドメイン、マリリンの映画に出てたときに引き続きおぼっちゃんの役がはまってたけど、本当にいいとこのおぼっちゃんなのね〜。
2012年12月29日、シアターキノにて。
ファースト・ポジション (US /2011年)
バレエ・コンクールYAGP2010に参加するプロ志望の子供たちに密着したドキュメンタリー。色々なバックグラウンドの色々な事情を抱えた子供たちが、大人よりも厳しい世界でやっていこうとしている。
経済的に恵まれている・いないにかかわらず、バレエに人生を捧げようと既に心に決めて、ストイックに生きる子供たち。決して踊りやすい踊りでも、体にいい動きでもないのに、怪我も多いのに。
バレエがとにかく大好きなんだなあ。まあ、あれだけ踊れたら、そりゃ楽しいだろうなあ。私も小学生の時集中的にレッスンに通ったけれど、体がかたくて大変だった。上半身はともかく下半身がかたいので。
バレエダンサーはきれいに踊るだけではだめで、やっぱりまずエンターテナーでなくては、と思う。クラシックって基本に忠実すぎるあまり躍動感に欠ける動きをしがち。その点この映画に出ていた子供たちは観客を虜にする要素をしっかり持っていたので、将来が楽しみだなあと思った。
2012年12月14日、サッポロファクトリーにて。
ホビット 思いがけない冒険 (NZ, US /2012年)
どっかで見たことあるこの人〜〜〜。と思いながら見ること170分!正体は『ラブ・アクチュアリー』であのポルノ俳優のスタンドインをやってる地味カップルの役やってた人だった・・・。
『ロード・オブ・ザ・リング』はあまりちゃんと見たことがなかったのだけど、母との間でスメアゴルごっこをしていたらはまってしまい、スメアゴル見たさに公開初日に見に行くという的外れの情熱。(母はもともとこのシリーズが好き)
でも見てみたらいい映画だった。これを機にちゃんとシリーズを勉強しなおそうと思った。ラダガストも素敵だったしね。
目当てのスメアゴルもちゃんと出てきてなぞなぞやってたし・・・。満足満足。
ただちょっと気になったのが、子供も見るであろう映画なのにめちゃくちゃ残酷なシーンが容赦なく出てくるところ。これターゲットは一体何歳なの?あと、多勢に無勢ってシーンで平和的に解決するのかと思いきや、武力で押し切っちゃうのが、なんだかなぁ・・・。武器より知恵でなんとかしてほしかった。
2012年11月5日、札幌 シアターキノにて。
ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳 (日本/2012年)
何年か前にすごい写真家がいるってことでDAYS JAPANに掲載されていたので知った福島菊次郎氏。広島のヒバクシャの方の写真と、兵器工場の写真はずっとそれ以来記憶にあって、時折思い出していた。
それ以外にも多くの印象的な写真を撮っている。誰にも頼らず、迎合せず、自分の信念ひとつでやってきた人だということが、この映画でよく分かった。プライベートでは40歳の時に奥さんと離婚して上京し、3人の子供を育て、61歳で無人島に移り、半分くらいの年の女性と暮らした。
長女の紀子さんが少し登場する場面があって、すごく素敵な女性だった。同じ名前でとても嬉しい。
日本社会でただ飼い殺されるには強すぎる純粋なエネルギー。愛情があって、物事に対してニュートラルで、人に好かれそう。色々な場面で大事にされ尊敬されているのが伝わってきた。
年金は受け取らず、子供からの援助も受けず、誰の世話にもならず、身の回りのことも全部ひとりでやっている、めちゃくちゃかっこいいおじいさんだ。これくらいびしっと生きないとな、と思う。
また、結局日本という国は、巧妙に隠してはきたけれど、一般人の嫌がることでも政策のためには反対の声に全く耳を貸さずに推し進め、大勢の人の生活や思いを踏みにじり犠牲にして、その上で経済成長を遂げてきたのだなあとしみじみと思った。日本でおかしいと感じたことを指摘しても、周りに相手にされないことが多かったけど、やっぱりおかしかった。特に会社員やってた頃。そんなことも思い出した。
2012年10月21日、札幌シネマフロンティアにて。
希望の国 (2012年)
これ日本人全員見た方がいい。
おしどりマコさんが先日IWJで中継していた講演会で、「メディアでは被曝と非難の話は今タブー」とおっしゃっていたのを聞いて、最も大事な情報を隠ぺいしようとコントロールするなんて、北朝鮮か!(下手するとそれより悪い)と思ったのだが、
その2大タブーを描いた園監督は素晴らしすぎる。どういうふうに解釈してもいいし、どんな立場の人が見てもいいようになっているけど、一番誰も正面切って描かない・言わないことを堂々とやりきっているので、見て非常にすっきりした。
偽善的な部分がまったくないのも好感が持てた。自分が20キロ圏の境目にいるような気持ちになって、現状を否応なしにリアルに迫るように考えさせられる。
それに、これまで被災者の人たちのことを遠く感じていたことを恥ずかしく思った。ちょっと想像力を働かせれば届くところで、もがき苦しんでいる。それを肌で感じるような作品だった。原発事故が収束していない今見ることの意味は大きい。
2012年10月19日、札幌 シアターキノにて。
ゼブン・デイズ・イン・ハバナ (フランス、スペイン/2012年)
1週間を1日ずつ異なる監督が撮るオムニバス形式。
もっと音楽が充実していると良かったのになあ。というのと、これを見てキューバ行きたい!とはならないんじゃないかと。レゲトンはいいけど。もっと音楽に寄ってもいいのになあ。
キューバの魅力が果たして伝わるかっていうと、一部分を切り取った感じはするけど、そのへんはリアルだけど、じゃあリアルキューバってこんな感じなのか?行ったことないので分からないけど。
フィデル・カストロが生きているうちに今のキューバを見ておいたほうがいい、きっと変わってしまうから、と言われるんだけど、今のキューバがもしこれならちょっとパス。そういう意味では闇を描いていると言える。
要するに微妙だなあという印象。ラテンの人たちの泣いて笑ってというのを表現しているんだとしても、そこにメッセージ性もないしなあ。で?みたいな。何がしたかったんだろうこの映画。最近映画に限らず、絵画でも小説でも、ルポでさえも、なぜそれを世に生み出すことが必要だったかという作り手の切実な動機が見えてこないと全然入り込めないし、価値を感じない。なんとなくでも一応作れば誰かが見てくれるという時代は、終わったように思う。それに登場人物が一喜一憂している出来事の根底にある世の中の仕組みっていうものに最近冷めきっているので、余計に一々騒いだからって何になるんだろうと思ってしまう。
そうやって冷めた目で見つつも、本人役で主演も務めたエリア・スレイマン監督の存在感は際立っており、すごく印象に残った。何だろうあの妙におもしろい感じ。映画の才能を持った人なんだろうな〜。
2012年9月20日、ディノスシネマズ札幌劇場にて。
最強のふたり Intouchables (フランス / 2011)
こんな気持ちのいい映画久しぶりに見た!すごく笑ったし、最後には泣けてくるし、しみじみ考えさせられる。主人公の二人は白人の富豪の障害者と、アフリカ系移民の介護者なのだけど、この二人のシーンをずっと見ていたいと思ってしまった。というのは、この二人のやりとりは幸せなのだ。安っぽい同情もマニュアルもなく、苦労した移民の家系の青年が、ストレートに接することで、いろいろな介護のタブーのようなものが剥がれ落ちて、爽快で楽しい。
また役者がそれぞれとても魅力的で、はまり役。二人とも笑顔がとても素敵。脇をかためる役者も個性的で、フランス映画ならではの雰囲気に仕上がっている。イヴォンヌ役の女性、ラストのデートに出かけるシーンにはいているピンヒールがひときわセクシーで、これもフランスだなあと思った。
実話に基づいているので設定に無理がなく、すんなり入り込める。本当にこういう貧富の差ってよく目にするし、色々考えさせられる面もあり・・・。フランス、特にパリで目にするアフリカ系移民の態度や振る舞いは彼らの生活のほんの一部で、その裏には彼らなりの事情があるんだな、と反省。これまであまりにも偏った見方をしていたのかもしれない。
また細かいところでは、ドリスはフィリップにものを言うときはTuでなくVousを使っていた。常にフランス語のほうをチェックしていたわけではないので最後までそうだったかは分からないのだけど、どこかでTuに変わったのだろうか???もっと気を付けて聞いていれば良かった。
ところでこれハリウッドがリメイクする気らしいけど、どこにそんな必要が?これほど完成度の高いものを!3Dにでもするのか?それとも字幕を英語で読めずフランス語も分からないアメリカ人のために英語吹き替えにして、フランスならではのユーモアや文化・生活習慣を理解できないアメリカ人の観客のために、噛み砕いてやるため?それとも設定をパリからNYにかえてアメリカ人にすることで、経済格差広がるアメリカ人に親近感を抱かせ、その結果不満解消に一役買うとでも?きっとそれなりには仕上げてくることだろう。でもハリウッドのそういうところが大嫌い。
この話が本作の監督2人の知るところとなったのは、介護を受けていたフィリップが口述筆記で自らの出会いと体験を本にしたことでテレビ番組が二人のことを取り上げたからだという。この本、調べたらアマゾンにあった!読みたいな〜。日本語訳のタイトルはなぜか英語で『A Second Wind』。フィリップ・ポッツォ・ディ・ボルゴ著、田内 志文訳。
2012年8月25日、岩上安身さんのシネマトークカフェ in 札幌にて。
モンサントの不自然な食べ物 Le Monde Selon Monsanto (フランス / 2008年)
これは『いのちの食べ方』みたいに、絶対に現代社会を生きるうえで見ておいたほうがいい作品。全国で公開中なので、ぜひぜひ。私達は日本にいて守られているからこんな事情対岸の火事だと思っていたら大間違い。既に日本にもモンサント製品は入っているし、加工品には早速使われているだろう。表示義務がないんだから信用できない。
最近食品の裏側みたいなのが知りたくて色々読んでいるけど、下手すると口にしているものが純粋に食べ物と呼べないような事態にまでなっている。食べ物と聞いて、もやっと思い浮かべるイメージと、製造過程で行われていることの乖離がすごい。
たとえばモンサント抜きにしても(遺伝子組み換えトウモロコシが日本の家畜の飼料になっていることはおいておいて)日本の牛だって、自力で歩けなくなるような軟禁状態で管理していたりするし。福島の牛を避難させるときにトラックまで歩かせるのが大変だったというエピソードを何かの手記で読んだとき、そこにまず驚いた。アルゼンチンの牛のように気ままに放牧されている牛の肉ばかりが出回っているわけではない。でもスーパーで買う肉のパッケージに生前の姿が載っているわけでもないし、大事な情報から現代人は、特に都会の人は、切り離されてしまっている。
ともかくこのモンサントの話は、そういう食に関する考え方を改め、気を引き締めるきっかけにもなるし、大きな権力が雨雲のように庶民の生活を覆いつくそうとしているのを感じ取ることができるので、絶対に見ておいたほうがいい。知らなければ知らないで済む話だけど、自分の体のことだから、自分の身は自分で守らないと。しっかり知識をつけて賢く生きないと。特に年取って弱り始めたときがきついと思うし。
2012年8月16日、札幌シネマフロンティアにて。
トータル・リコール/ Total Recall (2012年)
本当はもっとマイナーな映画が好きなのだけど、母が見たいというのでつきあった。
そこそこおもしろいけど、マサイアス役のおじさんは『ラブ・アクチュアリー』で売れなくなった歌手を演じたビル・ナイ!もう笑いそうになってしまった。あれだけインパクトがあると次が難しいなあ。重要な役なのに、真面目な顔すればするほど、『ラブ・アクチュアリー』の数々のシーンが浮かんできてしまう・・・。
それにしてもコリン・ファレルはなぜ人気俳優の仲間入りをしているのか?分からない・・・。ブラッド・ピットっぽい表情をたまにするから??大して実力があるようにも思えないし。銃を持って手りゅう弾入りのバッグを斜め掛けして走っているシーンがなんだかへっぴり腰で、あれではサバゲーオタクが一生懸命その気になって真似しているようにしか見えず、どうも入り込めなくて。
脚本は、伏線がなさすぎて唐突にいろんなことが起きている感じがした。小道具とセットはスター・ウォーズっぽかった。けど細部は凝っていた。SFアクションとしては最新技術を駆使してるし、見ごたえはある。そういう意味では充分おもしろかった。
あとYouTubeで1990年のトータル・リコール見ると、あまりの違いに本当に驚く。20年強でこんなに進歩するんだな〜。
2012年7月29日、札幌シネマフロンティアにて。
ダークナイト ライジング/ The Dark Knight Rises (2012年)
『メメント』のときから敬愛しています、ノーラン監督!コロラドの乱射事件に負けないで!!!
とはいえ上映中何度も、これでリアルに銃持って入ってこられたら恐怖倍増だろうなと思った。密室だもんなあ。
バットマンはもともとあまり興味なかったんだけどクリストファー・ノーランが手掛けた『バットマン・ビギンズ』からはちゃんと見ている。
今回はなんだか時事ネタ突っ込み過ぎでは?とか、そんなんで解決するわけないだろ!とか色々つっこみつつだけど、映画としての完成度という意味では本当に良かった。見せ方がとても上手くて、上手にのせてくれる。期待を裏切らない。
役者もみんなそれぞれに素敵だった。アン・ハサウェイはたまに演技がベタベタで、見てると恥ずかしいときがあるんだけど今回はなくてほっとした。『インセプション』からジョゼフ・ゴードン=レヴィット、トム・ハーディ、マリオン・コティヤール、と3人も引き続き起用していたけどトム・ハーディは後で調べるまで分からなかったよ。なんか年齢もいってるように見えたし。
ところで、話が佳境に入ったかなり大事なシーンで、グレイハウンドのバスがわざとらしく登場する。お、トロントからNYまで乗ったやつだ!と現実的になった。こんなプロダクト・プレイスメントもあるんだなあ。バスなのに身を挺して暴走を止めるかっこいい役どころだ。1シーンも無駄にしないでスポンサーをつけるハリウッド。このシーンを覚えていた子供が、後に「ママー、ぼくメガバスじゃなくてグレイハウンド乗りたい!」とか言うとは思えないけど・・・まあ宣伝部の人がバットマンの大ファンとかだったんだろう。
あまり書くとネタバレになるので書かないけど、もうちょっと時間が経ったらネタバレ版書くつもり。色々言いたいことがあるので。
2012年6月18日、札幌 シアターキノにて。
11.25 自決の日 (日本/2011年)
三島由紀夫の最期を描いた作品。演じるARATAの繊細さが印象的。実際の映像がたびたび使われるので非常に臨場感がある。
三島由紀夫という人はどういう人だったのだろう。彼について書かれた本も彼の本も読んできたけれど、今一つ像を結ばない。
『豊饒の海(二) 奔馬』を思い出していた。三島自身あの小説で失敗するクーデターを描きながら、マジョリティの支持を得られないと知りながら、どうしてそこに突っ込んでいけたのだろう。
書く才能に恵まれ過ぎるほど恵まれて、それを最後に放棄し、結局目指したのは自らが作品となることだったのだろうか。
三島由紀夫の小説を読むたびに、この人の伝える技術は手段でしかなく、伝えたかったのは崇高な思想の方なのに、それは意外と華美な文章に隠れて目立たないのではないかと思っていた。私はいつも表現力の素晴らしさに意識が集中するあまり、登場人物の動機の部分を読み解こうとしないので。
なぜ、の部分をこの映画は充分に描いていないという気がする。あくまでもミステリアスなままの三島。彼が発した言葉から見る者が想像力を働かせ、寄り添って理解するしかない。
私にはなんだか、三島の問いが今こそ必要だという気がしてならない。日本の伝統文化を守るのかどうか。日本という国をどうしていくのか。それともそういうことを考えず、ただ何となく洗脳されながら生きていくのか。
やり方はものすごく偏っているけれど、そういう問いを突き付けているのだ。彼なりのやり方で。生きることに真剣ではない、堕落した一般人は彼の美意識に反した。
自衛隊を軍隊にするとか、色々な点で私は彼の意見には反対だけれど、その元となった考え方には共感できる。最後まで自分の思いを貫く姿勢も、純粋で、美しいと思う。
学生闘争や反戦闘争の実際の映像をじっくりとスクリーンで見て、信じられない思いだった。すべて私が生まれる前の話だけど、日本にもそんな血気盛んで真剣な時代があったのだと。間違っていると思えばちゃんと声を上げた時代があったのだ。今では見る影もない。
2012年3月28日、トロントTIFF、CinéFranco2012にて。
La Désintégration (フランス/2012年)
この映画は現代のフランスにおけるムスリムの若者をテーマにしている。ムスリムの名前とバックグラウンドを持つフランス生まれの若者たちが差別を受け、ちゃんと教育を受けても単純労働にしか就けず、フランス社会や自分の置かれた環境に不満を募らせている。主人公もその一人。彼は両親を思いやり向上心も人並みに持った純粋な若者だけれど、上手くいかないことへのフラストレーションを募らせていく。
そんな中、主人公は、彼より少し年上のカリスマ性のあるムスリム青年に出会う。この青年は主人公のような若者たちの話を親身に聞きコーランに沿って助言をする。そこまでならいい話で終わるけれど、話はここから始まる。
ありきたりな言い方をすれば、かなり衝撃の結末が待っている。あまりにも衝撃的で、まさか、と思う。これはこの脚本家および監督の解釈にすぎないと。でも一方で、ありうる、納得できる、と思う。なぜなら私のよく知る日本社会にも、その歴史にも、よく似た構造があると思うからだ。
イスラム教はとても多様で、色々な土着の宗教とつながったり、過激になったりして、いい部分が見えにくい。正しく知りたいと思うけれど、私にとってはいつまでたっても大いなる「?」なのだ。政教分離と男女平等、それをクリアすれば魅力的な思想になるかもしれないのに。
2012年3月25日、トロントTIFF、CinéFranco2012にて。
Les Hommes Libres (フランス/2012年)
この映画は、第二次大戦中のパリ、あのLa Mosqueeが舞台。北アフリカ系のムスリムが、ゲシュタポに追われるユダヤ人をかくまい、命を懸けてレジスタンス活動にも参加。当時のナチ占領下フランスにおいて、ムスリムは自分たちの文化を守りつつ周りとも上手くやっていたよう。
ユダヤ人やレジスタンスを地下に住まわせ、ゲシュタポに付け狙われているユダヤ系のアラブ歌手に「自分はムスリムだと言って自分の身を守れ」などと助言。
アラブとユダヤといえば、昔から敵対関係にあったとばかり思っていたので、一々「そんなにいい話があったの??」と椅子から落ちそうになるくらい驚いた。そういえばイスラエル・パレスチナ問題が激化したのは大戦後からだった・・・。
主人公の男性以外ほぼ実在する人物で、限りなく真実に近いフィクションということだけど、フランスの移民の歴史をもっとちゃんと知りたいと思った。
ダラブッカで始まる美しい物語。当時のパリ(今と建物はあまり変わっていない気もするけど)の素敵な景色も見れ、北アフリカ的な描写もあり、アラビア語も登場する、単純に映画としてもおもしろい。
2012年2月7日、パリにて。
Félins (African Cats)
ディズニーがあまり好きではない私。でも動物モノが見たくて。
基本的に動物とか自然の世界で起きていることに人間っぽい味付けをして都合よくかわいく見せたり怖く見せたりする演出がとっても苦手なんだけど。子供ウケを狙ってナンボのディズニーさんですから、非常に抜け目なくやっていらっしゃいました。
ライオンとチーターを子育てと狩りを中心に交互に見せるストーリー。ともかく映像はきれい。ライオンの世界もチーターの世界もタフじゃないとやっていけない。人間って非力だなあと、日陰を作ったり雨除けになってくれたりするものが何もないサバンナで、雨に濡れそぼって震えているチーターのお母さんと子どもたち。お母さんの毛がぬれて一回り細く見える顔を見ながら思った。
チーター母子は単独行動をするけど、ライオンは集団生活。シンパシーを感じるのは断然チーターだった。
雌ライオンには見るからにつきあいのストレスがありそうだった。雄は獲物もってっちゃうしさ〜、狩りは雌にやらせるのに。それで威張ってハーレム作ってるというのも・・・。
これ私が雌だったら、「この男はバカで横暴でどうしようもないけど、とりあえずこいつがいれば群れの安全は保たれるからガードマンとしておいといてやろう。今のうちにせいぜいでかい顔してりゃいいさ。年とって弱ったら捨ててやる」くらい思うな。
きっと雌ライオンたちはそう思ってるんだろう。ということはアシカとか、他のハーレムつくる動物たちは結構そうなのかも、利害関係かもなあ。ハーレムなんていうと雄ばっかり得して雌とヤリ放題でいいものみたいな響きだけど、何人も雄がいるより面倒じゃないっていう意味で子供に集中したい雌にも都合がいいのかもしれない。すると雌の方が一枚上手か。
動物界の男女のあり方っていうのはもちろん人間とは違いすぎて参考にはならないんだけど、なんで神はこんなふうに作ったのかねえと考えずにはいられない。
また、食う方も食われる方も自然界では意外と互角というのがいつも興味深いところ。
シマウマだってただ食われてるわけでなく、後ろ足で蹴ったり、反撃もする。ライオンにちょっと引っかかれたくらいでは止まらない。
2012年1月15日、サンパウロにて。
Bruna Surfistinha
せっかくブラジルにいるのでブラジルの映画を・・・と思って、DVDを見てみた。
この映画は、実在する女性のストーリー。本人が本を書いて、それが映画化されたもの。割とお金持ちの家で育ったのに、家出して売春婦になり、売れっ子になって、仕事のことをブログ書くようになったらそれで有名人になり・・・という。商魂たくましいビジネスウーマンだけど、そこから転落ももちろんして、それでも最後まで自立心のかたまりみたいな人。そのハンパない強さは衝撃だった。
絶対に人の世話になりたくない、なにがなんでも。そういう気迫。私は映画として見ていたところがあり、この展開ならもう、こっちに流れちゃえよ〜、みたいに思っていた。けど自分の失敗から自力で這い上がる彼女。
日本で見れるのか知らないけど、18禁でツタヤかどっかにあるのかしら。すごいリアルできつい。私は見ててちょっとつらかった。でもその分強さにがつんとやられる感じ。
女優さんの肉体美は素敵だった。最初はだっさ〜い感じで、それがどんどんあか抜けていく。
それにしてもなぜ売春だったのだろう。いくらなんでも。きっと細かい話は本で読めばわかるんだろうけど(私は英語の字幕を必死で読んでいたので理解力がいまいちかもしれない)、映画としてもおもしろかったので、これはこれでいい。
ブラジルの映画は濃いけど、どこかさらっとしていて、きっぷの良さがあると思う。どろどろ感がない。フランス映画のような、重たい余韻もない。私は好きな感じ。
2012年1月12日、サンパウロにて。
City of God/ Cidade de Deus
アカデミー賞受賞作の実話に基づいた映画。
これがファベラ?いくら80年代までのリオの話だからって・・・これはハンパない。こんな負の連鎖どうしたらいいの?でもよく描けているし、映画としても本当にすごくよくできている。
映像のセンスの良さがあるし、要所要所にブラジル音楽とダンス、そしてジャーナリズム魂。バイオレンスに耐えられるか不安だったけど、そういうシーンのすべてを貫くまなざしがしっかりしているので、最後まで見れた。
役者はファベラでオーディションして見つけてきた人がほとんどだそう。道理でみんなそれっぽかったわけだ。
ファベラのギャングを仕切っているのが実は汚職にまみれた警察で、というお決まり?のパターンだった。
さらにその警察の内部がどうなっているかを見事に描いた映画があるらしいので、そっちも近々見ないと。
とにかく極端な国だよなあブラジルって。(でもこのあいだブラジル人に、日本人って極端よね、と言われた!徹底した美白・日焼け予防から働き方にまで極端さが出ている、とのこと。)
2011年1月14日、東京にて。試写会。
180° South
この映画はアウトドアの2大ブランドThe North FaceとPatagoniaの創業者たちの伝説の旅がテーマ。
若かった二人が1968年、パタゴニアを目指してパンアメリカンハイウェイを南下する。それを現代の若者たちが辿るように、船で同じ場所を目指し、一緒にクライミングをする。
サーフィンとクライミング、先住民の暮らし、ガウチョの暮らし、大自然との共生について。
美しい映像とシンプルな言葉でずっしりと心に響く。
個人的にはパンアメリカンハイウェイが未舗装(今でも一部そうだけど)の頃の映像が見れて感無量。
今はすっかりきれいだけど、見える景色は全然変わっていない。1年前のことなのにすごく懐かしくて、郷愁すら感じて、冒頭から涙。
人生を変えてしまう旅。私にとっては、ガラパゴス一人旅がそれだった。あれがあったから南米一周もあったようなもの。確かにあの旅では、行く前には予想もしていなかったような大きな問いに直面することになった。
そんな大きな契機をもたらしてくれるのも、正しい周波数に感性を戻してくれるのも、いつも自然か人(生き物)でしかありえない。工場や大きな政府やお金や権力ではないし、学歴でも肩書でもブランド物のアクセサリーもない。
人がいかに自然に依存していることか。甘えていることか。いくらでもふんだんにあると思って。資源もスペースも何もかも。
自然を保護するとか、共存するとか、できてるつもりでもできてなかったり、かえって悪影響だったりしないかと思うこともあるけれど。作中の彼らの取り組む姿勢、考えや言葉は、何もしないより、流されていくより、やってみるほうが100倍いいよと言っている。
この映画かなり環境保全のメッセージも強い。自然の中でよく遊ぶ人はよく意識していることだけど。これはやっぱりエコを流行とか他人事といまだに捉えている人に見て欲しい。日本、特に東京では危機意識を持たずにまだまだ生きていけるから。ちょっと気をひきしめるきっかけになるかもしれない。
上映の前後、急きょ来日したChris Malloy監督が姿を見せていたので、ちょっと感想をお話しさせていただけて、ラッキーだった。年齢不詳の自然大好きそうな方だった。
海と山を感じたい、パタゴニアとイースター島を訪れたい人必見の映画。今後の生き方を迷っている人とかにも、いいかも。