Harmonize Nature

landiguana

はじまりはガラパゴス

黄色いイグアナに会いたくて、またなるべく遠くに行きたくて選んだガラパゴス。

行ったら人生がひっくり返ってしまった。帰りの飛行機の中、離婚は避けられないだろうと思っていた。

はじまり

元々私は、子供時代から超インドアなタイプ。外で遊ぶよりも家で本やマンガを読むのが好きだった。けれど自然界の観察は好きだった。虫や植物がどうしてそうなっているのかを知ることは楽しい。
泳げないと困るだろうと親が通わせてくれたスイミングスクール、これも経験と冬に行ったスキー、それは私をアウトドア好きにするには不十分だった。また15の時に山でトレッキング注に滑落事故に遭ったため、山に苦手意識が芽生えてしまっていた。

そんな私がなぜガラパゴスに惹かれた挙句大金をはたいて行くことにしたかというと、色々な要因が見事に重なって、私を連れて行ったからだ。

事の発端は沖縄でホエールウォッチング中にクジラと交信するという神秘体験をしたこと、その翌年くらいに映画『アース』に仕事で関わったこと。この映画が地球を1つの個性を持った個体として見るという視点を与えてくれた。
大学で哲学を4年間やった私は、そういう考え方・捉え方の新しさに心惹かれ、それが地球という存在、そこで暮らす人間の存在を自分なりに捉えなおすきっかけとなった。

またこの映画がきっかけでフォトジャーナリストの藤原幸一さんとお仕事するチャンスに恵まれた。藤原さんはガラパゴス基金を立ち上げ、外来種撲滅を目的とした固有種の植林活動を主宰している。ガラパゴスに関する本や写真集も出している。
最初は資料として読んだその本には、ガラパゴスの魅力的な固有種の動植物が事細かに説明されており、それを読んでいくうちに、いつか行ってみたいなと思うようになったのだ。
でも年々増え続ける観光客のせいでゴミは出るし外来種は持ち込まれ、ガラパゴスは手ひどいダメージを受けている。私がその数を増やしてしまうのも忍びない・・・。ところが藤原さんは、まず行ってみたらいい、と言ってくれた。そのときは、いつか、と思っていた。

そのいつかは案外すぐやってきた。というのは、その後仕事の精神的ストレスと忙しさがピークに達して爆発しそうになり、退職を決意したのだ。自分の夢とも第一希望とも微妙に違うがやりがいのある社会的ステータスの高い仕事、というのはなかなか辞められないものだが、負担が体調に見え始めたことがきっかけになった。
当時結婚もしていたし、今後のことを一旦考えようと退職。すると退職金が入ることが分かった。まとまった時間と資金が入るということは、ガラパゴスに行けるということだった。
ものすごいストレスを抱えていた私はいつかのタクシー運転手さんの言葉を思い出した。
「ストレス発散に一番いいのは普段と違うことをすることなんですって。」

世界の果てかと思うほど遠い場所にあるというのも良かった。もうできるだけ遠くに行きたかったのだ。
夫は10日も会社を休めないと言った。それで、一人で行くこととなった。バックパックなんて持っていなかったので、リモワのスーツケースを夫に借りて行った。今思えば場違いもいいところだが。

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渡航

2008年11月1日

フライトは、往路だけで乗り換え3回。成田―ダラス(11時間)、ダラス―マイアミ(3時間)、マイアミ―グアヤキル(4時間)、グアヤキル市内で1泊、グアヤキル―ガラパゴス(1時間半)となる。
なぜ素直にキトからでなくグアヤキルからエクアドルに入ったかというと、トランジットのためだけに標高2850mのキトに行って高山病になるリスクを抱えたくなかったのだ。15歳の時の山の事故はフランスのシャモニーで起きた。あのとき標高がどの程度あったかは定かではないが、車で山道を上った際にひどい頭痛と吐き気を感じたことを覚えており、今回ガラパゴスに行くにあたっては、何としてでも港町のグアヤキルから入りたかった。
しかし長時間飛行機に乗るとお腹が張る上に眠れず、非常に体調及び機嫌が悪くなるので、高山病リスクとどっちがましだったのかはよく分からない。

案の定寝不足と気持ち悪さでフラフラになってマイアミに着いたが、ここまで来ると人も空港もゆる〜い雰囲気で、既に聞こえてくる言葉の半分がスペイン語だ。ここまででテンションはひたすら下降しており、最終目的地のガラパゴスすら色あせて感じられたほどだったが、あくびをしながら次のフライトを待っていたら、どこからかふと、バチャータのメロディーが聴こえてくる。それを聴いて一気にテンションが上がった。ラテンのリズム!サルサ好きの私にはたまらない。踊りたい!
こういう音楽が日常の一部になっている地域に行くんだ、とこのとき初めて実感した。そして、途端にエネルギーが湧いて来た。
日本ではマイナーなラテン音楽。町中で聞こえてくることなどまずない。ラテン音楽がかかっている場所イコール私の属す場所という感覚が無意識のうちにあった。もしエクアドルでサルサが盛んだったらハマるかもしれない・・・。
この日最後のフライトはそのテンションで乗り切り、エクアドルの商業都市、グアヤキルへ。人生初の南米大陸に到着した。成田を出発してから、グアヤキルの空港を出るまでに、きっちり24時間かかった。

ホテルに着くと、慣れないチップに慣れないスペイン語に慣れないトイレ。(*)
部屋番号は111号室。今回乗ったアメリカンエアーの機体はボーイング777、座席は33番と、ゾロ目尽くし。私の中でゾロを見るときは必ずいいパワーが出ているというジンクスがある。ゾロ目が続くことを嬉しく思いつつ、ベッドに入ってすぐ眠りに落ちた。明日はいよいよガラパゴス!

*南米仕様なので、使ったトイレットペーパーは流さず、脇のゴミ箱に捨てる。

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1日目

2008年11月2日

landiguana mangrove turtoise planting

翌朝、ガラパゴス諸島の玄関口であるバルトラ島へタメ航空で飛んだ。
飛行機のタラップを降りるなり、黄色いイグアナが向こうから走ってきた。胸がきゅ〜んとなる。お前に会いたくてここまで来たんだよ!

空港を出て、今日お世話になるタクシードライバーと合流し、ホテルのあるサンタ・クルス島へフェリーで渡る。すると豊かなマングローブ林をたくさんのブラウンペリカンが飛んでいた。遂に未知の生態系、固有種の世界に来た。目にする動植物は全て見たことのないものばかり。

ホテルに行く前にまずはハイランドという、サンタ・クルス島中部にある比較的標高の高い場所へ。そこでピット・クレーターと溶岩トンネルを見学し、植林をする。
そこでは頭の中がきーんと響く感じがする。耳鳴りとも違う。うるさいくらいだが、物音や人の声はちゃんと普通に聞こえる。他の人に聞いてもそんなことはないと言われてしまったが何だったのだろう。

植林は巨大な農園の敷地内で行う。ここには野生のガラパゴスゾウガメがいっぱいいる。草を始終食べている彼らのサツマイモ大のウンコもそこらへんにいっぱいある。植林のあとは、しばらくゾウガメを見て過ごした。
すぐ近くには牛もおり、よく見るとねずみが走り回っているし、バナナ・グアバ・パパイヤなどが無造作に植えられている。外来種に対する意識の低さが伺えた。
そんな中でゾウガメたちはあちこちで一心不乱に草を食べるか、食べていないときにはプスー、シュコー、プスーと長く深い呼吸。さすがにコタツくらいのサイズで200kgもあると肺活量もあるのだろう。呼吸は遠くからでも聞こえるほどだった。
カメたちは、遠くにエンジン音がしたり、人が通る足音がしただけでも、口いっぱいに食べかけの草をほおばったまま、さっと頭をもたげて耳を澄ませる。人間が急に近づいたりすれば、首をぐっと甲羅の中に入れる。危険がないと分かるとそのまま食事に戻る。
首を左右にゆっくり動かしながら目の前の草を残らず食べつくす勢いなのだが、なかなか食いちぎれない草があっても諦めず、思い切り引きちぎった反動で自分の頭を甲羅にぶつけたりしていた。ゴンッという音が響き渡る。焦らなくても、いっぱいあるよ、草・・・。

夕方近くになって、プエルト・アヨラという港町へ移動。農園のオーナーもタクシーに同乗した。この島では車両の数が制限されているので、誰もが車を所有できるわけではない。バスもあまり走っていない。そのせいかヒッチハイクをよく見かけた。

予約したホテルはAngermeyer Waterfront Innといい、港から更にボートタクシーで行った先にある。港は夕日が沈む時間帯でとてもきれいだった。ペリカンやグンカンドリが飛び交い、沢山のボートがキラキラと夕日を浴びて停泊していた。
ホテルに着くと、熱帯の植物に囲まれたフロントポーチには、金髪で長身で日に焼けた、なんともいえない濃いムードを漂わせた中年男性。ここの2代目オーナーのアンガーマイヤー氏は、魔法使いのような独特のムードを持った、ドイツとデンマークのハーフで、ガラパゴスで生まれた最初の人。この人と話すだけでも相当おもしろい。
また、ここはホテルというよりコテージが点在するような作りで、居心地がとてもいい。お値段もいいけれど、今まで泊まったどんな高級ホテルと比べても間違いなくナンバーワンだ。

夕食はホテルのレストランで食べ、食後はホテルへ戻る道を、満天の星空を見上げながら帰った。ギラギラした三日月が出ていて、これが月?とびっくりする。ああ、私は今、赤道直下の小さな島にいるんだ、来ちゃったんだ、ガラパゴス。そう考えるだけでパワーが湧いてくるようだった。何だか嬉しくてたまらない。

crab puerto ayora
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2日目

2008年11月3日

patio breakfast breakfast

朝6:30に起床、そして朝食。この宿の朝食は本当に素敵だった。そのため毎朝たっぷり1時間はこのために時間をとったし、朝が来るのが待ち遠しいほど気に入っていた。
ブッフェではなく、テーブルにつくと、焼き立てのバナナ入りパンケーキやパンが運ばれてくる。シリアルも作りたてのフルーツジュースも、ヨーグルトも、2種類ずつ持ってきてくれるので、選ぶことができる。卵はスクランブルかボイルドか、もちろん指定できるし、おいしいガラパゴスコーヒーも出てくる。
目の前には美しい朝の港の風景。大小のフェリーやヨットが停泊し、空の青のグラデーションにはすっと一刷けしたような白い雲がかかり、その間を固有種の大きな鳥たちが飛び回る。時にガラパゴスカッショクペリカンが、ドボンと大きな音を立てて水中にダイブする。鳥たちも朝ごはん中。天国みたいだ。
他の宿泊客とは時間帯が違うのかあまり会わない。そもそも大勢を収容できるタイプの宿ではないし、部屋にはキッチンもあり自炊できるからかもしれない。ブッフェだとかえって非効率的だということだろう。これならいくら払っても惜しくないと思った。すべて手作りらしい上に、化学調味料の味がかけらもしない。素材は新鮮だし、文句なしに美味しかった。この食生活を実現させるために外来種がいっぱい持ち込まれていることを思うと悲しい・・・でも、素晴らしい食事だった。

この日はノースセイモア島日帰りツアーに参加。ちなみにガラパゴス諸島は世界遺産であると同時に危機遺産なので、ネイチャーガイドが同行するツアー以外の方法で勝手に旅行者が島に行くことは禁止されている。
この日の参加メンバーは10名強。それにネイチャーガイドとスタッフ数名で小型フェリーに乗る。片道1〜2時間は乗っただろうか。いい天気で、海はものすごく透明で色鮮やか。注視しているとウミガメが泳いでいるのが分かる。船酔いもなく、波の揺れが気持ちいい。
フェリーの中では皆英語で会話していたので、スペイン語が分からない私には入りやすかった。お客さんの内訳は、人数の多い順に、アメリカ人、イギリス人、イタリア人、ドイツ人、ポルトガル人女性、そして日本人(私)。メインは50代、私の親世代。比較的年配のお客さんが多いのは、ガラパゴスはお金がかかるからだろう。でも話をすると皆同年代かと錯覚してしまうほどやんちゃで、大はしゃぎ。

さてノースセイモア島に上陸するなり、ウミイグアナがそこらへんの溶岩にへばりついているのを発見!それからアカメカモメに遭遇。目の周りがリング状に赤で縁取られていて、すごくきれい。次に現れたのは大きなガラパゴスリクイグアナ。色んな表情があって撮り甲斐がある。イグアナは基本的に無駄には動かず、逃げもせず、好きなときにささっと移動する。マイペースで動じず、すごく高貴な感じがしてかっこいい。

更に歩くと、アオアシカツオドリがいる。きれいな水色の脚と寄り目がちな顔をして、呑気な様子でうろうろしていた。
その先は白っぽい枯れ木の低木の中を歩いていたつもりだったのだけど、ガイドによるとこの木はパロサントと言って、ハーブのような香りがし、虫除けなどの薬効があるとのこと。今は乾季なので葉を落としてはいるが、雨季になると一斉に芽吹いて一帯は緑に変わるらしい。パロサントの枝先を引きちぎり、匂いをかがせてくれた。乾いた見た目からは想像もできない、ミントのような爽やかな、濃い香り。ここでは植物でさえも、環境に適応するためにユニークな個性を持っている。
ここノースセイモア島の低木のパロサントはガラパゴスの固有種で、グンカンドリたちが巣をつくる場所となっている。そのグンカンドリのオスたちはあちこちで赤い胸をふくらませて求愛中だった。

blue footed booby blue footed booby frigate bird frigate bird redring seagull

島をほぼ一周すると、今度はアシカのコロニーに出くわす。アシカは、姿はかわいいんだけど、鳴き声がうるさく、魚を食べるのでフンが臭い。更にアシカのまわりには外来種のハエが大量にいる。カメラを構えて一瞬でも静止すると手や顔にたかってくるのが心底疎ましい。ゴムボートに乗って帰るときにも、ハエは人にたかりながらついてきて、結局フェリーにまで乗り込んで来てしまった。
こうして人が外来種の媒介になって、島から島へ広げてしまったということが容易に想像でき、嫌な気持ちになる。

フェリーに戻ると激旨ランチが待っていた。味はかなりの高レベル。船の小さいキッチンでちゃんと料理していた。デザートとコーヒーもあり、アルコールもあり、船内はかなり陽気なムードに。
そのあとLas Bachasという美しいビーチでウミガメの産卵地を見せてもらって、泳ぐ人は泳いで、終了。

land iguana land iguana las bachas pelican

夕方、宿にいた年配の白人女性とお喋り。カナダ人の彼女は、仕事をリタイヤしたあとガラパゴスに移り住み、決して安くないこのホテルに滞在しながら、ダイビングなどをして過ごしているそう。彼女は、都会は忙しすぎて、大事なものを見失うと言っていて、深く共感した。ここに来てまだ2日目だけど、東京での自分は何かが大きくずれていたんじゃないかと既に感じていたから。
また今日だけでつくづく、この島が観光収入で成り立っていることが分かった。でもこのやり方はまずい。まずツーリストの絶対数を国が規制したほうがいい。お客さんが来たら来ただけ全部受け入れて、それに対応できる設備やサービスを増やしていくという普通のやり方ではなく、まずホテルや農園の数を先に決めてしまうべきだし、ローカルの住民に対しても意識喚起をしなければ。でないと動物たちがすごい勢いで絶滅するのはもう目に見えている。大体ハエがあんなにいるなんて・・・。と、自分だって単なる観光客なんだけど、夕食のあとそんなことを一生懸命考えては日記に書いた。でも時差ぼけも手伝って(日本との時差はマイナス15時間)、夜10時にはパタっと寝てしまった。

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3日目

2008年11月4日

darwin finch south plaza south plaza south plaza

朝食を食べていたら、ダーウィンフィンチが飛んできてシリアルを食べてしまった!いいのか?いいやダメに決まっている・・・。しかし追い払うわけにもいかず・・・とりあえず写真を撮った。ごめんねこの島に人間のもの持ち込んで、と凹んだ。

本日のツアーはサウス・プラザ島日帰り。前日のツアーと同じメンバーで、前日よりも長い距離をフェリーで移動する。
船内はもっぱら米大統領選挙の話で持ちきり。アメリカ人たちは、明日の結果発表を待つ心境を語り、既に事前投票を済ませてこの旅行に来たと話している。その割に、誰一人として、自分がオバマ・マケインのどっちを支持しているのか言わないし、聞かない。相当神経を使って会話している。こういう場で政治的な議論はしたくないということか。

この日は最初にシュノーケルポイントで泳いでから、島に上陸するスケジュール。
久しぶりのシュノーケルだし、シュノーケル自体にも苦手意識があったのが、ポイントに近づくと海はすごいエメラルドグリーンをしていて、一気に「うわー、入りて〜!」とテンションがあがる。おいで〜、と手招きされているかのよう。
思い切ってゴムボートから飛び込むと、めちゃくちゃ美しい海の世界が広がっていた。トロピカルな色の沢山の魚たち。量・種類ともにすごい。今まで沖縄・マレーシア・ロタ・ニューカレドニアと結構海は見てきたつもりなんだけど、一番充実感があった。
泳いでいると体が妙に浮いて、水面に乗れそうなくらい。塩分が濃いのだろうか。それでいて海との一体感をすごく感じられる。海の一部として受け入れられたような安心感、人生で初めての感覚だった。それまでは海って計り知れなくて、怖くて、いつもすごく構えていたのだけど、ここの海は絶対に私を守ってくれるような、通じ合っているような、不思議な感覚があった。
皆で情報を伝え合いながら移動していく。サメやエイ、アシカが海底を泳いでいく。彼らは人間には見向きもしない。また、色とりどりの魚たちを追いかけるうちに突然冷たい海流に出くわしたりもした。ビキニで泳いでいたのでかなり冷たかった。「これが南極から来るフンボルト海流かな〜」と思いつつ、ぬるいほうに逃げる。小1時間は海にいたがあっというまだった。海からあがるときは、後ろ髪引かれる思いがして、ずっと海にいたいなあと、これまた人生で初めて思った。

予想以上に楽かったシュノーケルを終えて向かったサウス・プラザ島は、赤土に多肉植物のような形状の赤い植物が一面に生え、その合間にグリーンのウチワサボテンが生え、黄色いイグアナがうろうろしているという、配色の美しい小さい島だった。ちなみにこの赤い植物も、雨季には一斉に緑に色を変えるのだそう。
岸にはアシカ、陸にはイグアナ、そしてその先の崖には絶景を背に舞う鳥たち。ここではアカハシネッタイチョウという固有種に会える。この鳥の美しさをどう表現したらいいんだろうか。何度もピンぼけになりつつも執念で撮った渾身の1枚にすら、写しきれていない。全身が真っ白で、長く白い尾があって、くちばしがワインポイントで赤い。真っ青な空と海をバックに飛ぶ姿は、天界の生き物のような、非現実的な美しさ。

この旅で強く感じたことだけれど、人間の目はものすごく高性能なカメラだと思う。そのときの気持ちや、対象とのコミュニケーションから生まれた繊細な何かを取り込んで脳に焼き付ける。どんなに高名なカメラマンが撮ったものも、一人ひとりの心の中にある画像には及ばない。私はカメラに収められるものには限度があると、この旅でつくづく思い知らされた。
でもだからって撮らないわけにはいかないのだが、目で見てダイレクトに心に入ってきたあの感動は写せなくて、それが悔しいと思う。

さてイグアナの多いこの島は私のイグアナ欲(?)を充分満たしてくれた。イグアナは日中日陰で体の熱を逃がし、夕方になると夜の寒さに備えて太陽を浴びる。私のラブラブビームを察知したのか、カメラ目線で笑顔をくれるイグアナ多数。

sealion bone tropical bird snorkeling

崖の上にはアシカの白骨!!ノースセイモア島にも鳥のミイラがあったけど、手付かずの自然なので、当たり前のように死体もそのまんま。灼熱の太陽に焼かれて、見事に真っ白な骨になってしまう。すごくキレイだと思った。自分が死んだら、味もそっけもない火葬場で焼かれるよりも、ここに放置してガラパゴスの一部にして欲しいと心の底から思った。私の場合左脚を骨折したときのボルトが入ったままなので、骨になったあとそれだけ回収してもらうよう誰かに頼んでおかないといけないし、裸体で放置されるなら人の来ない場所じゃないとダメだよなあ、とリアルな想像を巡らす。

フェリーに戻ってからランチタイム。今日も大満足の美味しさ。食後は3時間くらいかけて、プエルトアヨラの港までフェリーで戻る。晴れているのに波がかなり高く、台風かと思うくらい揺れたが、船酔いになる人とまったく平気な人がいて、だいぶ個人差がある。中にはそんな状況でワインをガブ飲みしながら本を熟読するというツワモノもいた。ちなみに私はこの旅の間、ありがたいことに船酔いは一度もなかった。

lunch at night

誰も彼も、ここでは不思議とすぐ仲良くなれそうな気がする。気軽に話しかけられる。私が心を開いているのか、ここに来るとみんな心を開いてしまうのか。
そのせいか、一人が寂しいとか、一瞬たりとも思わなかった。ガラパゴスに来る前のことを思い出しもしない。今に集中しているし、一人って気楽でいいな〜と思うだけ。自分の状態に集中できるので、疲れているのかどうなのか、常に自分と対話しながら把握できるのがいい。この調子なら、世界中どこだっていけるんじゃないかとすら思えてくる。

ディナーのあと、シャワーを浴び、ベッドの上の窓を開けて寝た。プエルトアヨラの夜はちょっと冷え込むけれど、日中太陽を浴びたせいか妙に暑かったので、ちょうど良かった。夜の港もまたきれいで、気持ちが和む。

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4日目

2008年11月5日

fish market fish market fish market

この日は相変わらずの時差ぼけで早くに目が覚めたので、朝食前にTVでアメリカ大統領選の結果を確認することができた。
このホテルで会うお客さんは申し合わせたように誰もが皆、自然好きそうで自由な感じの欧米人だ。オバマに決まって良かったと誰もが喜んでいた。
朝食の時、大荷物を抱えたバックパッカー風の白人女性が名残惜しそうにチェックアウトしているのが目にとまった。彼女は今にも泣きそうだった。考えもしなかったことだけど、もしかしたら私も去るとき泣くかもしれないなあと、そのとき初めて思った。

朝食後、チャールズダーウィン研究所へ。アンガーマイヤー氏がホテルスタッフの男の子をお供につけてくれた。なぜこのようなVIP待遇で予定が組まれているのかよく分からないが、料金は全額前払いしてあるし、初めての土地でスペイン語もよく分からないので、全部乗っかることにした。
二人でプエルトアヨラのメインストリート、マレコン通りを歩いていった。この日もかんかん照りで、日陰はほとんどなく、じりじりと焼かれるような日差し。暑い!暑い!と文句を言いながら歩いた。英語が通じないと分かっているのでもう日本語で喋った。
そこらへんの土産物屋から当たり前のようにサルサの音楽が聴こえてくるのがすごくいい。それだけで元気が出てくる。
通りをしばらく歩くと、藤原さんの本で読んで以来気になっていた魚市場があった。ペリカンがいっぱい集まっているという点と、野生なのに自分でエサを捕らず、安易にもらいに来るという問題の両方で気になっていたのだ。
通りかかったら、運良く午前中だったので、魚を買い求めるローカルのお客さんと、魚をねだるたくさんのペリカンたちが見えた。よく見るとペリカンだけでなく、アシカまでいる!滞在中すっかりペリカンラブになってしまった私は近くに行けるだけで嬉しくて、ペリカンが人間のせいで野性を忘れつつあるという問題をすっかり忘れ、ただただ興奮。
エサのことで頭が一杯になっているペリカンたちは、かなり近づいても一向に意に介さない。後ろから近づいて抱きつきたい衝動をぐっとこらえて写真を撮った。

またこの通りには、中南米の民芸品と芸術家の作品を集めたギャラリーがあった。こんな都会的なギャラリーをここに作るということは、ガラパゴスに来る観光客がやはり知的富裕層だという証だな、と思った。どう考えたって場違いだった。そういう私も英語が達者で美しいお姉さんに接客してもらったら、ついつい買ってしまったが・・・しかもなぜかいいお値段のパナマの民芸品を。ちなみにガラパゴスは南米で一番治安のいい場所だとかで、100ドル札・50ドル札は問題なく使えるし、クレジットカードもちゃんと使える。

さて汗だくでチャールズダーウィン研究所に着いてみれば、予想に反して建物がぽつぽつと敷地内に点在し、ほとんどが動物園みたいな屋外で日陰が殆どない。研究所というくらいだから屋内だろうとタカを括って日焼け対策の長袖などを持っていかなかったことを後悔した。
敷地内にはたくさんの巨大なカメたちが飼育されていた。種類別に場所が分かれている。歩いても歩いてもカメ・・・。そして小亀にサトウキビをやる餌付けシーンに遭遇。すごい食欲で、サトウキビをかじるわしゃわしゃという音が聞こえる。ロンサムジョージもおじいさんと言われている割には食欲旺盛で、まだまだ長生きしそうに見えた。頑張って子をなしてくれ、と思った。(*)

その後はローカルの人たちがよく訪れるという穴場的なビーチや、ウミイグアナが休んでいる溶岩・マングローブ林などを経由して町に戻った。途中美しい墓地があったので、死んだらここに入ってもいいなあと妄想した。ちょうど11月2日がこちらのお盆みたいな日だったらしく、お墓はどれも美しく飾られていた。

cemetery tortoise iguana

午後は半日のツアーに参加し、同じサンタクルス島の別のエリアまでボートで回って、サメやアシカやウミイグアナを見たが、前日までにあらかた見たジャンルだったので特に大きな感動はなかった。それよりも泳ぎメインと聞いていたのでビーサンで参加してしまい、実際は足場の悪い溶岩の上をひたすら歩くという内容で、話が違う!
溶岩の上を歩くときは滑りそうだったので、そこらへんのマングローブの根っこの先に掴まらせてもらった。ちょっとくらい引っ張ってもびくともしなくて驚いた。マングローブの形状がかわいくてもともと好きな上に、そうやってお世話になったことと、ペリカンがいつも休憩している場所なので、この旅でますます好きになってしまった。ビーチの脇で自然なトンネルを作ったりしているし、その日陰でウミイグアナがじっとしているのも素敵。

ツアーのあとは、日本から取材で来ていた毎日新聞の記者さんたちと、彼らをアテンド中のJapan Tours鳥居さんと合流。藤原さんが紹介してくれたご縁で、諸事情により初日の植林地に一緒に赴いて再度スカレシアを植える。その様子は元旦の毎日新聞に掲載された。

いよいよ明日が最後のツアー、その翌日はもう帰るなんて、信じられない。これから、もっともっとこの島と町を知って、どんどん馴染んでいきたいと思っている自分がいるのに。
この日も太陽をいっぱい浴び沢山動いて暑かったので、窓を開けて寝た。涼しい風が入って本当に気持ち良く眠れる。この寝心地の良さは生涯忘れられないだろうな、きっと今後の人生の寝心地の基準になるだろうな、とまで思いながら寝た。

*ロンサムジョージはその種ではもう最後の1匹で、近い種のメスとの交配が試みられている、いわばお世継ぎ問題が重く肩にのしかかっている立場。

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5日目

2008年11月6日

baltrome baltrome baltrome

夢の中で私はヨガのインストラクターとしてデビューしていた。これは前日のオーナーとの会話のせいだ。
「ここではヨガレッスンはやってないの?」と聞いた私に対し、「君がヨガの先生になってレッスンをここでやってくれるのなら、雇ってあげるよ。」と言ったのだ。

ガラパゴス最後のツアーはバルトロメ島への日帰りで、参加者は私を入れて5人。フェリーもこれまでの半分のサイズで、豪華だけど超小型で省スペース設計だった。
片道2時間以上かけてバルトロメ島へ。青くおだやかな海、今日も文句なしの晴天。白い雲が大きく流れて、どこを見ても魂が洗われるような美しい景色。途中ウミガメやサメが泳ぐのが見れた。

バルトロメ島はなんだかものすごい島で、火山が噴火して、そのまま残っているような姿をしている。一方は火山灰、反対側は溶岩で覆われて、赤と黒と茶色と海の青で構成されたすごい景色。むき出しの大地がこんなにきれいだなんて、知らなかった。
来る前にこの景色を写真で見た私は、こんなに何も無いところに行ったら寂寥感でどうにかなるんじゃないかと思って心配したものだったが、その予想は見当違いであった。

baltrome lizard seaiguana

ここには全てがあった。
圧倒的に、「在る」という状態だった。そこにいるだけで心が満たされる。
この島にはなんというか、あっけにとられるくらいのパワフルさがある。350段以上もある(どこかの団体の寄付により作られたらしい)階段を登っていくと、殆ど動物の姿はなく、ヨウガントカゲと、体長10センチはあるガラパゴスオオバッタがいるだけ。
頂上からは360度の絶景が見られる。米軍が射撃の練習でおかしな形にしてしまった岩などをバックに写真を撮った。

そのあとはビーチでシュノーケリング。しかし付け方が悪かったのかマスクがあわず、何度トライしても水が入ってきてしまう。仕方なく、泳がない参加者とビーチでゴロゴロ。すると、クルーがゴムボートを出して周辺を回ってくれた。
このとき岩場にいるフンボルトペンギンを見れてラッキー。その後はボート上でガールズトークをしながら優雅な時は過ぎていった。
すると突然、海の中にいた参加者が「ウミガメがいる!」と叫んだ。私はどうしてもどうしてもウミガメ見たくて、合わないマスクを慌ててつけて海に飛び込んだ。
果たしてウミガメはそこにいた。
私のちょうど真下3mくらいの、海底の砂の上に、じっとしていた。
すごく大きくて、体長はその距離で私とほぼ同じくらいに見えた。カメの真上に重なり合うように浮かんで、じっと観察した。素直に「でか、本物だ。」と思った。そして、厳かな雰囲気を感じた。すごく静かな気持ちになった。

ところがすぐマスクに水が入ってきたので慌てて顔を上げ、マスクをはずして立ち泳ぎ。ゴムボートまで泳いで拾ってもらう。情けないことに渾身の力を振り絞っても海の中から自分の体を持ち上げることができず、何度トライしても惜しいところで上がりきれない。結局たまりかねたクルーの男の子と参加者に左腕と左脚を持って引っ張り上げてもらった。みっともない姿で水揚げされ、かなり恥ずかしい。
帰国したらマイシュノーケルセットを買うことと、腕力をつけることを心の中で固く誓った。

sealione lunch

さて全員ボートに戻ったら、着替えてすぐランチ。これもまた絶品。船の小さいキッチンでよく作るなあ。デザートはパンナコッタだった。
帰りは船の揺れが気持ち良く、ずっと寝ていた。全然酔わないどころか、この旅で、波独特の不規則な揺れが大好きになってしまった。

この日は参加者夫婦とホテルのレストランで一緒にディナーをいただく約束をして、一旦解散。部屋に戻って、明日のチェックアウトに備えてパッキングを始める。
そして最後の夕方の景色を目に焼き付けようと、お気に入りのテラスで日記を書いた。ちょうど空が少しずつピンクに染まっていく、大好きな時間帯で、本当に天国のように美しい。空を飛び交う大きな鳥たちをもう見れなくなるんだ、もう終わりなんだと思うと泣けてくる。帰りたくない。何よりも、帰国する自分、日本にいる自分がまったく想像できない。
毎日が楽しくて、心のきれいな、楽しい人たちに会って、自分の心が自由で、強くて、安定して、自然と対話する感覚が常にある、この世の楽園みたいな場所。
でも帰らないといけないから、もう見納めだ。こらえても胸のあたりがぎゅうっと苦しくて、涙が出てくる。去ることを今は考えないように、と自分と戦う。

最後のディナーなので、日替わりのスペシャリテを頼んでみた。これがゴージャスで美味しくて大正解。ここのエグゼクティブシェフはカナダ人のイケメン。南アフリカでシェフをしていたところを引き抜かれ、ガラパゴスに来たらしい。いろんな人生があるなあ。
そして部屋に戻ってパッキングの続き。ここを離れがたい気持ちはますます強く、涙が止まらない。ベッドの上の窓を開け、夜の港の景色を何度も何度も確認し、忘れないように目に焼き付けた。このお気に入りのベッドで寝るのも今日が最後。

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6日目

2008年11月7日

angermeyer palo santo iguana airport

遂に最後の日の朝を迎えてしまった。
パッキング、そして朝食。大好きなメニューを忘れないようにじっくり味わおうと意識すればするほど涙がこみ上げてきて、のどにつかえてしまう。
スタッフの男の子たちがサーブしに来てくれるたびに笑顔をつくろうとするけど、目を合わせたら号泣しそうで、できなかった。なんて湿っぽい私・・・。
気を紛らわすためと、そして忘れないように、景色をひたすら眺めた。私がいなくなってもずっと続いていく平和な朝の風景。ガラパゴスは私が去っても寂しくないんだろうか、私はこんなに寂しいのに、などど考えてみたり。
そこで思い至る。私が交流していたのは、個別の人でも動植物でもなく、ガラパゴスという土地の丸ごとのエネルギーなんだということに。この特別な磁場を持った特別な場所と、私はじっくり心を開いて関わってしまった。だから他のどの土地よりもこんなに離れがたく、あらゆるものから守りたいとすら思えるんだろう。

初日と同じドライバーが空港までの送迎に来てくれた。一緒に乗り込んだタクシーボートの上から、ホテルが遠ざかっていくのを見て、涙がまた出そうになるのをぐっとこらえる。我慢せずに泣いてたら子供みたいにしゃくりあげそうで自信がなかったので、ひたすらこらえた。
最後の景色をカメラに収めようとはもはや思わなかった。写真を撮っている暇があったら、全身でガラパゴスを感じていたかった。カメラを通して見る時間も惜しい。
大好きなパロサント、マングローブ、ウチワサボテン、ペリカン、アオアシカツオドリ、そしてイグアナ・・・。帰ったらもう会えないんだと思うと、どれもこれも胸に迫る。

プエルトアヨラから空港までの道中、私はものすごく無口だった。初日とはまるで別人のように黙り込んだ助手席の私に、ドライバーが心配して「楽しめた?」などと呑気に聞いてくる。喋ると泣き出しそうなんだからほっといて!と、キレそうな私。
サンタクルス島の端っこまで来て車を降りる。ここから更にボートタクシーに乗って、空港のあるバルトラ島へ移るのだ。
走ってきた道を振り返り、そこで最後に目にするパロサントの木々を眺め、心の中でお礼を言った。昨日この木々をミニバンの中から何気なく見つめていたとき、すごく大きなことに思い至る瞬間があり、その体験に対してのお礼だった。さすが「聖なる木」。それは神秘体験のようなもので、このメッセージを受け取るためにここまで来たのか、と思ったほど。私の扉が開かれた、と実感できた瞬間だった。

空港ではチェックインしてから自分用のお土産にガラパゴスコーヒーの豆を買い、ドライバーともここでお別れ。「またおいで」と気軽に言われたけど、私は100%本気の真顔で「絶対また来る」と言った。

ゲートでの待ち時間が結構あった。この時間も悲しさを増幅させて拷問のよう。戻りたいのに戻れない、という状態。狭い待合室は観光客でぎゅうぎゅうだが、誰もが心なしかしんみりしており、それぞれがガラパゴスとの別れを惜しんでいるように見える。
よく観察すると男性は年齢に関係なくひげ率が高く、それも1日2日の無精ひげではなく、気合の入ったサンタひげ。女性は、自分含めスッピン率が非常に高い。そしてメタボが少ない。全体的にワイルドな感じ、自由な感じ、魂が洗われた感じ、に見えた。そして殆どが白人だった。やっぱり欧米の知的富裕層のヒッピータイプが来るところなのか。みんな赤く日に焼けて、名残惜しそうに見えた。

すごいところだった。一人で来て良かった、本当に。何もかもに集中でき、一粒ももらさず満喫できたから。

いよいよ飛行機が入ってくる段階になって、イグアナたちをひき殺さないように、職員が何人かでイグアナを脇へ追いやっているのが見えた。職員たちが、脅かすでもなく、音を出すでもなく、わざとゆっくり後ろから追いかけるように歩くと、黄色いイグアナたちは面倒くさそうに逃げていく。そのかわいい姿に皆がカメラを向けていた。私は最後までイグアナの姿が見られたことが嬉しかったけど、これ以上好きになっても辛いだけだ、といじけながら、ちらりと見るだけにしておいた。

タラップを上がっていよいよ飛行機に乗り込むその直前、思わず後ろを振り返ってガラパゴスの姿を見つめた。その広い地平線と色合いと、大きな空を取り巻く平和な空気を見たら、また涙が出てきた。
こんなエネルギーを発する土地はどこにもない。ここにしかない。なんて特別なんだろう。すっかりガラパゴスに恋をした私は、相思相愛の相手と無理やり引き離されるように辛かった。ありがとうガラパゴス。たくさんの新しいものを見せてくれて。砂まみれできなこをまぶしたようなアシカの姿、波間に見える泳ぐウミイグアナのかわいい小さな頭。

ガラパゴスを離れるなり、気持ちが沈んで、グアヤキルにつく頃にはそれまでのオープンで博愛主義的な気分はすっかりなくなっていた。
帰りも1泊するグアヤキルの情報を『地球の歩き方 ペルー・ボリビア・エクアドル・コロンビア』で読んで、気を紛らわす。ところが紛らわしすぎて全然関係ないボリビアのユウニ塩湖やペルーのマチュピチュを一生懸命読んでいるうちに、今度はこっちにも行きたくなってしまった。
一度扉が開いてしまったら、もう冒険人生に突入したい気持ちでいっぱいだ。


iguana park iguana park iguana park

グアヤキルに着いたら、今度はJapan Toursの鳥居さんが午後のグアヤキル市内観光に連れて行ってくれた。頭をあわてて都会仕様に切り替える。

まずはセミナリオ公園(通称「イグアナ公園」)へ。ここで飼われているイグアナはお触りOKなので、ガラパゴスで触れなくてもどかしい思いをした人にはいいと聞いていたが、鳩やリスと一緒に敷地内で餌付けされているグリーンイグアナたちは、ガラパゴスの黄色い純真そうなイグアナたちに慣れた後では、かわいく見えず。
かなりの数が木の上にもいて、「おしっこが降って来るから木の下では走ってください」と鳥居さん。公園を走る日本人二人・・・。
またよく見るとあちこちでイグアナは産卵中。土の中に穴を掘って、下半身だけ穴に入って、涼しげな顔をして産んでいた。そこらへんの土には白い鶏卵のような卵の残骸がたくさんあった。ガラパゴスのイグアナと違って天敵もいないようだし、呑気に餌付けされて楽して!とイグアナ差別をする私だった。

その後、野口英世通りへ。野口英世はここグアヤキルで黄熱病のワクチンを研究開発し、大いに貢献したので、功績をたたえられ通りの名前になっている。
近辺にある昔の高級住宅街の瀟洒な住宅を車でまわって見せてもらった。大きくてカラフルで、熱帯植物の生い茂る庭がある。古いけど、その古さがまた素敵。日本でもらう給料の2か月分で買えるとのことだった。グアヤキルに住んで、ガラパゴスにしょっちゅう遊びに行くことも夢ではないのだ。
malecon santaana santaana

マレコン2000というレジャースポットや、サンタアナの丘などを観光する。平日の昼間だというのに沢山の人。聞くところによると失業率50%らしい。その割にはちっとも悲壮感が漂っていないし、特に貧乏そうでもないが、やはり貧富の差はここエクアドルでも問題とのこと。

帰りはちょうど帰宅ラッシュにぶつかった。道路には2車線分の線しか引かれていないのに、力技で3車線で走ったりと、市民は自由奔放に運転していた。鳥居さんも、「日本では車線変更でウィンカー出すんでしょ?」と聞いてくる。「日本では」とは?

それにしても町には美女が多い。どことなくアジアっぽいような切れ長の目で、彫りは深くて、小柄で脚が長い。男性も、やはりイケメンが多かった。人口のおよそ6割がメスティソ(先住民族とスペイン人の混血)とのことなので、やはり混血は美形という通説は正しいのか。
町を歩いていても危険そうな感じや荒んだ感じがなく(実際は危険もいっぱいあるようだけど)、どことなく誰も彼も楽しそう。いいなあ、なんか住めそうだな、と思った。

ホテルの外は金曜の夜なので騒がしく、いつまでもクラクションが鳴っていた。それすらも心地いい騒音だと感じたのは、この町に好感を持ったからだろう。目を瞑ると昨日まで泊まっていたAngermeyer Waterfront Innのベッドを思い出す。既に懐かしい、戻りたい、忘れないようにしたい。
南半球、南米大陸の端っこに今、一人なんだなあと、このときしみじみ思った。寂しさはまったくないけれど、広い世界にぽつんと浮いているように感じた。同じ一人でもガラパゴスにいたときは逆に、世界との調和のほうを強く感じていたので、そう感じさせてくれた自然ってすごい。

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帰国

2008年11月8日〜10日

今度は南米をじっくり回りたいなあと思いながらグアヤキルの空港へ行き、チェックイン。ゲートに向かうと、電光掲示板に、乗るはずの便名がなかなか出てこない。
離陸予定時刻の11:45になって、やっと出たと思ったら、なんとそこには「DELAY」の文字が。我が目を疑ったけれど、14:45発と書いてある。もっと早く言ってよ〜。そんなに時間あれば市内観光がもう少しできたのに・・・。
しょうがないので本を1冊読んで、ガラパゴス滞在について、日記とは別に色々書いてみようとノートを開く。書き始めたら、初日からそれまでのことがエンドレスに、おもしろいくらいもれなく、鮮明によみがえって、その後の4時間のフライト中もずっと、一心不乱に書くことができた。
神が降りたような集中力に自分でもびびったし、右手はもちろんじんじんと痛くなったけれど、ダラスに着く頃には1週間分の出来事を思い出せる限り全て書ききっていた。

マイアミで乗り換え、マイアミからダラスに到着したのは23:30。そこから荷物を受け取ってホテルのシャトルバスに乗って、やっとホテルの部屋まで着いたらもう午前1:00だった。
真夜中のシャトルバスからは、半月が見えた。ガラパゴスで見たほどの強い輝きはないけれど、月は月だ。ガラパゴスで見た月は、日本からだって見える。あー、ちょっと安心、と遠距離恋愛中のカップルのようなことを考える始末。

ダラスでは、ウェスティンホテルを予め予約しておいた。目論見としては、もしガラパゴスが楽しすぎて帰りたくなくてもちゃんとしたホテルが待っていれば帰路に就くモチベーションになるだろうし、逆に万が一滞在中ものすごく疲れたりイヤなことがあってへこんでても、ここで一旦元気になれる。いずれのパターンにも対応できるようにと選んだホテルだった。
結果はもちろん前者だったが、1泊だし深夜に着いて早朝出るので、もっと空港から近い安ホテルでも良かった。でもシャワーのノズルが何やら二段構えのすごいやつで、勢いよくお湯が出て、設備もきれいで豪華でよかった。そしてシャワーのお湯がエクアドルよりいいのはすぐ分かった。グアヤキルの水道水は目に沁みたので・・・。水道水の水質がいいのは先進国の証。インフラ整備の良し悪しは国の豊かさを反映しているんだな〜、と思いつつトイレに使用済みペーパーを、久しぶりに流した。

翌日起きると、ホテルの窓の外は、テキサスの大地、一面の地平線。ひたすらフラットで、高速が伸びているだけの景色。広い、でかい、北米。実は北米も人生初だった。またなんとなくマイアミあたりから感じていたのだが、北米よりも南米のほうが、繊細で清潔で人が優しいし、心が通じる。私はアメリカンスクールに通っていたので北米文化には馴染みがあるはずだが、どうしても親近感が湧かない。
トランジットで立ち寄りはしたが、結果面倒くさく時間がかかっただけだった。

最後のフライトは12時間。さすがにもう戻れない、帰国するしかないところまで来ているのに、まだガラパゴスに戻りたくて悲しい気持ちになった。成田に着いて、やっと観念したのだった。


フライト中ずっと考えていた。

ガラパゴスで、導かれるように、

この大きな地球の色々な姿を見て、体験して、つながりを感じたい。
そうすることでこの世界を理解し、それを人に伝えたい。
そうしないと生きている意味がない。

という境地に至ったが、それをすることは、"そこそこの幸せ"でなく"一番の幸せ"を目指すこと。
即ち、"そこそこの幸せ"を手放すことだった。それは離婚することを意味していた。

一緒に生活していく上ではウマの合う夫だったが、感性の部分で決定的に合わなかった。それでもガラパゴスへ行く前なら共有できる価値観があったのだが、その重なっていた部分がこの旅で完全にひっくり返ってしまった。その部分とは、レールに乗って勝ち組人生を送るようなものだったのだが。

私は本当は、自然の中や全く新しい環境に飛び込んで行って体験したいタイプなのだと知ってしまった以上、もはや共通点はなかった。安定した職につくことも、家庭を作ることも、安定した関係さえもどうでも良かった。お金でもない。自分の中の情熱のようなものが、今しかない!と言っていた。今この気持ちを抑えたら、この先一生冒険できずに終わってしまうと。

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その後

旅で学んだ南米のゆるさ、ガラパゴスの美しさ、人々の優しさ、純粋さ、オープンさ、自分がオープンだったこと、自分とつながっていたこと、本当はいつでもつながっていることなどを、忘れないようにしようと思った。
帰国後しばらくして始まったドロドロの離婚劇は、このガラパゴスで得た強い確信がなければ乗り切れなかった。
すんなり離婚できたという話を私は知らない。こんなに大変ならこの先一生結婚なんてしたくないと思った。世の中は婚活ブームでこれもきつかった。友達にも賛成してくれる人はあまりおらず、離婚するイコール落伍者という無言の社会的なメッセージを感じるほどだった。毎日泣いたし、本当に傷ついた。

それでも旅をして離婚をして良かった。
以前の私は、電池をプラス・マイナス逆にセットしていたようなものだ。やっと、正しい方向にセットしなおされたと今では感じる。
自分の中で物事のプライオリティがあるべき順番に戻った。我慢して信念を曲げて働いていた頃は、それがねじれていたから力が出なかった。居場所がないように感じていたため、過度に守りに入っていた。

帰国してからは毎日ガラパゴスの夢を見て、それは2週間くらいしつこく続いた。
南米の情報を手当たり次第探しもした。ガラパゴスやエクアドルのニュースが殆ど日本で報道されないのは今に始まったことじゃないが、そもそも海外のニュース自体が少ない。世の中にはこの狭い日本よりもたくさんのことが起きているのに。
世界中でガラパゴスだけがおもしろいってわけはない、もっと他にも仰天するような場所があって、信じられないような文化・常識で生活している人々もいるのに、その情報をなぜもっとシェアしないんだろう・・・。

7ヶ国語を操り、若い頃世界を航海したアンガーマイヤー氏の言葉を思い出す。
「日本のような小さい国で、もちろんデンマークよりは広いが、もし日本語しか喋れなかったら、誰と喋るんだ?」と彼は言った。
そう言われたとき私は答えに詰まった。その言葉は今でもずっと頭の中にある。日本語で書かれた記事や本を読み日本人の話すことだけを聞いていたのでは、物の見方は自然と偏ってくる。異なる言語では異なる現実が語られている。当然だ。

この旅のおかげで学びたい言語ができ、今まで全く興味の無かった世界に意識が向き始めた。
地球儀をぐるぐる回して、次はどこへ行こうか考える。決して平和ではない地域、悲劇に直面している地域もある。でもどこもかしこも、みな同じ地球の上にある。地球はみんなの命を支えている、大きなHOMEなんだと思う。
だからその地球を搾取するなんて、資源を奪ったり核実験を行ったりして、長い間地球がゆっくり育んできた大事な自然を壊すなんて、とんでもないことだ。ただ、地球を守るために色んな立場の人がそれぞれ相反する主張をしていて、何をすればいいのか分からなくもなるし、人間がいなくなれば解決するんじゃないかと考えてしまいがちでもある。 けれど、地球がそう望めばそうしてしまうだろうし、逆に言えば地球は我々と共存したいから今こうして生かしてくれているのではないか。と、都合がいいようだけど、私はそう思いたい。だからせめて私たちは幸せを感じたり分け合ったりすることで、いいエネルギーをお返しし、また地球のルールを知ってそれを壊さないように生活しないといけないな、と思う。

この地球とのつながり、一体感、世界をもっと知りたいという気持ちが、ガラパゴスへの短い旅の中で私が得た最大の宝物。参加者の一人が言ってくれた言葉通り、「You found your soul in Galapagos.」そのおかげで人生が大きくシフトチェンジした。心の赴くままに、思い切って行ってみて、本当に良かった!

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