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ルルド

1泊2日、コートレに行く途中に泊まることになった。

せっかくだからルルドの泉に、と思ったら巡礼者で溢れ返っていた。

巡礼者というか観光客の波

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ルルドには団体客が多い。世界中、特にヨーロッパ各地から巡礼に来るキリスト教団体が後を絶たないようだ。私と彼は無宗教。かなり気後れしつつも、観光気分で奇跡の場所へ向かう。

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大聖堂に近づくにつれ、お年寄りや車イスの人が目立つ。奇跡の治癒力で有名だが、私の治癒すべき皮膚はこの時点ですでに一度完治しており、お願い事は特になかった。あったのは震災と原発事故で傷ついた日本の存在だ。遠くルルドでキャンドルを立ててお祈りをした。

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大聖堂は非常に新しく見えた。お布施という名の観光収入がたっぷりあると見える。きれいではあるが、厳かさには欠ける。
それにどうしても現世ご利益的な嘘くさい感じがしてしまい、すっとなじめないものを感じた。人間の欲というのか。健康になりたい、健康でありたいという切実な気持ちはわかるし、万策尽き果てて藁にもすがる思いで来たのも分かるけれど、何か居心地の悪い感じがあった。
特に泉のある洞窟の前の長蛇の列を見たときに、シンデレラ城のような立派な聖堂とあいまって、ディズニーランドじゃあるまいし、と正直思った。誰かに奇跡を起こしたのだから自分にも奇跡が起こるかも、という安直な考えで聖地を訪れる気持ちに共感できない。誰かがそこで神秘体験をしたからといって、そこに行けば必ず誰でも同じ体験ができるわけではない。よく考えれば分かることだ。

例えば岩井志麻子さんがその体験談を書いたことで有名になったベトナム人の愛人がいるが、岩井さんのファンはわざわざベトナムに行ってその男性を見つけ出し、寝ているというのだ。
セックスの相性のいい愛人を自分も持ちたいというのなら、自分がいいと思う人を世界の好きな国で探してこればいいのであって、なぜわざわざ岩井さんの相手を執念深く追い回さないといけないのか、訳が分からない。

そこまで極端な例はまれだが、そういう"真似"が好きな人は割といる。個人的であるはずの体験にそういう共通性を求める感覚が気持ち悪いと思う私は、そういうタイプの人とは距離を置いてしまう。友達にはなりたくない。

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それはさておき、結局こういうところに来ると、私は宗教というものになじめないな、と思う。信者の立場からはその宗教自体を批判的に見ることがない。それを全面的に放棄して完全降伏することを選択するのが宗教だから。

一方で信仰の力を尊いものだと思ってもいる。誰かの信じるものにケチをつける気もない。
ルルドの大聖堂がもっと小さくて古くてさりげなければ印象も違ったのだけど、あれではバチカンよりもお金の匂いがしてしまう。

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