Harmonize Nature

yoron

西日本の旅

国内はあまり旅したことがなく、そこらへんのよその国よりもよほどエキゾチックというか知らない場所という感じがしていたので、彼もリオから来たことだし、放射能からも逃げたいし、南西方面なんてどうかしらと漠然と考えていた。
ちょうど仕事の契約もうまいこと2週間の切れ目を作れたし、フェリーと電車とバスで、飛行機に頼らずにゆっくり行ってみようということになった。(帰りは時間の都合上飛行機になったけれど)それが基本コンセプト。
そこに、熱海にある知人のお寺と、与論島にいる知人の夫婦を訪ねる計画を絡めてみた。

熱海

2011年10月9日

atami atami atami atami

南米で使ったバックパックが今回も活躍した。一応キャンプもするつもりだったのでシュラフやマット、簡単な食料、コーヒーフィルター(Mont Bellのたたんで小さくなるやつ)と豆も入れたので11sになってしまった。
コーヒーはあくまで嗜好品であり、どこでも飲めるとは限らないとこれまでの経験で悟った私は、もう持ち歩くことにしたのだ。

熱海の目的地までは情報の行き違いのため街道沿いを予定外に4時間くらい歩く羽目になった。きつかったけれど道中いろんな虫や小動物の死骸を見れたり、とてもいい山あいの景色が見れたりで、満喫。

寺に着いたらもうへとへとだったが、少し休んでからタダで泊めてもらうお礼に掃除などをし、禅アーティストでもあるご住職とおしゃべりをして過ごす。
その日は寺のお堂に布団を敷いて寝た。ちょっと小高い丘の上にある、華美ではないけどホンモノ、というとても素敵なお寺なので、いるだけで嬉しい。普段外から見ているお寺というものの、裏側の生活を知る。

ご住職は根っからの自由人でありアーティスト。バックパッカーの経験もあるので、旅の話もおもしろい。寺に泊まるというと緊張しそうなものだが、すっかりくつろいで楽しんだ。

atami atami atami

翌朝は早くから座禅などを体験させてもらった。木魚を叩くご住職の姿は異国のドラマーといった感じ。日本人の私から見ても相当エキゾチックだ。
お墓のあたりや境内につもった落ち葉をひたすら掃き、小坊主になった気分でいると、ご住職がゴディバのおいしいコーヒーを淹れてくれ、3人で縁側でいただいた。贅沢で幸せな時間だ。

しかし私たちの訪問中に檀家の方が亡くなり、急きょ葬儀が入ってしまったご住職は突然超多忙に。留守中昼寝をしていたら玄関のチャイムが鳴る。出てみると、ご位牌を受け取りに来ました、と男性。私がここで適当に探してきて渡せるものでもないので事情を説明したが、ここにいるだけで当たり前のように寺の関係者のように思われるのがおかしかった。貴重な体験だった。

今回は1泊だったので、ぜひまた行き、よりディープな体験をしたい。外国人のWWOOFerや、悩める若い人とか、色々来られたらいいのにと思う。場所はちょっと不便だがその分落ち着く。のんびりして、ご住職とお話しをして、自分ができる仕事を一生懸命したら、気が楽になるのではないかと思う。

翌日は熱海の旅館で温泉につかる。安くて広くて申し分ない、熱海の青青荘は朝食付きで、しかもバイキングではない。穴場だった。幸先のいいスタート。

翌朝チェックアウトし、熱海駅周辺をぶらぶら。漁港で海を覗き込むと、水がとてもきれい。
ここには自然がちゃんとあるが、放射能汚染はどこまで来ているのだろう。普通に干物が売られているが。私が見た汚染海域マップでは関西まで来ていた。それでも宿で出された焼き魚は完食した。自分でもどこで線を引いたらいいのかわからない。
けれど日本の恵まれた水源や森をないがしろにしてきたこと、原発なんて効率が悪く取り返しのつかない事態を招くものを無関心から建てさせてしまったことへの腹立たしさはすごくある。

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フェリーで有明から徳島へ

2011年10月11日

ferry ferry cabin

熱海から一度品川まで戻り、山手線で大崎駅、りんかい線に乗り換えて国際展示場。
そこから有明まで、フェリーの有料送迎バスが出ている。フェリーを電話で予約したときにカップルだと言ったら、個室にしてもらえてありがたい。
寝台の船だったので、2段ベッドで、狭いけど着替えるスペースくらいはあって、快適だった。

夜19:30出航、翌日午後1くらいに徳島着。ずーーーっと寝ていた。
船内にはお湯や水のサーバーがあり食事スペースも充分に広いので、キャンプ用に持参したコーヒーフィルターと豆の出番。アウトドア用のものは旅に使うと超便利、ということを再確認した。

船内には浴室もあったけれど、1日くらいいいかと思って入らなかった。
他のキャビンには陸上自衛隊のグループなどがいた。海上自衛隊の船には乗らないのだろうかと素朴な疑問を持つ。
キャビンにも共有エリアにも貼られている貼り紙が非常に気になった。痴漢や暴力をはじめとする迷惑行為をやめるように促すポスターなのだが、一番下に自殺を思いとどまるよう呼びかけている箇所が・・・。縁起でもない。けど、あるんだろうな・・・。

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四国を通り抜ける

2011年10月12日

bus misaki misaki

徳島に着いたら、食事をし、すぐ松山行のバスに乗る。
景色が違う、初めての四国。山々の間に人が暮らしている。これが日本なんだ〜と思う。私が生まれた国はとても素敵だ。人がのんびり笑顔で、ほっとした。松山で一泊。

とても好きな感じの四国だけれど、ここでのんびりしていると与論島までたどり着けなくなってしまう。時間を気にしない旅がしたい!
翌日松山駅の観光案内所に行くと、今日三崎港に向かう朝のバスはみんな出てしまったとのこと。私たちは朝のんびり派なので、毎回そんな感じだった。そこで、電車で八幡浜へいき、そこからバスに乗り継ぐことにした。
電車からは思いがけない素敵な景色が見られた。四国ってきれいだなーと思う。醜い人工物がない。自然がちゃんと居場所を守られているし、幸せそうだ。

八幡浜でみかんを買って食べながらバスを待つ。
殆ど私たちの貸し切りみたいながらがらに空いたローカルバスは間違いなく赤字だろう。でも小さな漁村を結ぶ粋な交通手段だ。窓から見える絶景は窓ガラスが汚れていて撮らなかったけれど、その分目に焼き付いている。
西へ西へと細くなる佐田岬を行く。人の営みと自然とのバランスの良さに見とれながら。

すると突然、伊方原発の標識が現れたものだから、本当に驚いた。突然現実に引き戻された。
持っていたiPhoneのGoogleマップで確認すると敷地面積はかなりある。ここの人たちが幸せに暮らすのに必要な電力を賄うには大仰すぎる。
このきれいな自然を汚染するリスクを背負ってでも建てないといけないようなものでは到底ない。なんで後のことをよく考えずにこんなもの作ることができたのか・・・。不思議でならない。どうせ金に物を言わせて無理やり建ててしまったのだろう。どんなふうに育ったらそんな恥知らずなことができるのだろうかと腹が立ってくる。

三崎港に着いたら夕日が沈むところだった。サザエ弁当を買って食べながら船を待つ。 三崎港から大分の佐賀関港まで70分。あっというまに初めての九州に渡った。今度四国ゆっくり来たいなと思いつつ。

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阿蘇山

2011年10月13日

佐賀関港へ渡ったら、他の乗客はみんな車両アリで、各人運転してどこかへ消えて行く。
私たち徒歩組はバスを待つしかない。次のバスまで約1時間。既に1時間という単位は「結構あっというま」の部類に分類されていて、東京のリズムとは違っている。

真っ暗なバス停に向かって、ネコバスのような光の強烈さでバスがやってきた。そうか田舎は他に光がないからバスがあれくらい強烈に見えちゃうんだな〜。
そこから大分駅までどれくらい乗るのか全然知らずに乗ったけど、案の定結構あって、でも急いでいないし宿も確保してあったのでいいんだけど、日もどっぷり暮れてから到着。ホテルのシャワーからは天然温泉が出てきた。
翌朝、阿蘇へ向かう。バスが出ていて、阿蘇駅まで一本で行けるのだ。

阿蘇に行くかどうかというのは直前まで迷っていた。阿蘇を飛ばして直接鹿児島まで行けば、与論島でもう2日過ごせるし・・・。でも阿蘇ってなんだかすごく気になっていたし、ここまできてスルーは勿体ない。

で、阿蘇に着いたら、土砂降り!
キャンプでもしようと思っていたけど雨の中テント張るほどの情熱があるわけでもなかったので、急きょホテル。ビラパークホテルというところへすぐ電話して。
ところで阿蘇駅ってすごくて、Wi-Fiが飛んでいる。多分携帯が圏外になってしまうからだと思うけど、おかげで彼の持っていたスマートフォンでSkypeアプリを使って電話ができた。彼はクレジットを買ってあったので電話への通話ができたのだ。スマートフォン偉い!

大して期待もしていなかったビラパークホテルは、温泉施設が併設されており、これでもかという程風呂に入った・・・。食事は全然回転しないバイキングという一番まずいパターンだったけれど、部屋がすごく広くてベッドとテレビとバスルームと、あらゆるものがでかく、バスルームはマウンテンビュー。しかも料金はひとり5000円程度だったと思う。なんという安さ。 天気は悪いけどいい誕生日を迎えられた。

aso aso aso aso

せっかくの阿蘇なので翌日トレッキング。しかし天気はどんより。写真と違う!
でも全然嫌な感じはしない。山肌が波のように幾重にもラインを作っているのを見ながら、カラフルな毛虫やまっすぐのびる木々を見ながら、一歩一歩進んでいくと、いつのまにかかなりの距離を歩いてきたことに気付く。

私たちがしゃがみこんで毛虫を見ていたときだった。一人のおじさんが走って下って来て、
「おや、野草ですか?」
「いいえ、虫です」
朝一番で火口まで走ってきたというおじさんは、このへんの野焼きのやり方とか、野草の種類とか教えてくれた。これから与論島に行くと言うと、その方は与論のマラソン大会に出たことがあるそう。そんなものがあるのか・・・。ちなみに島1周が20kmくらいしかないので、2周することになるらしい。

火口までまだあるよね、多分2/3くらい来たよね、というところで雨雲が近づいてきたので、もう充分歩いたし、と簡単に諦めて引き返す。
阿蘇の優しく、ちょっと日本じゃない感じはしっかり感じることができたし。お腹はすいたしトイレにも行きたいし。
余談だけど日本ではやっぱりそこらへんで、というのは抵抗があり、トイレを探してしまう。しかも「適当なそこらへん」を見つけるのも結構至難の業。

aso aso aso

阿蘇駅から、熊本駅へ、バスに乗った。電車でもいいんだろうけど、バスのほうが集落を巡るからおもしろい。人の暮らしを見るのが好きだし、乗り物酔いもしないので、バスは合っている。

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鹿児島

2011年10月15日

熊本から鹿児島行きの長距離バスにすぐ乗り替えて、その日のうちに鹿児島中央駅に着いた。

鹿児島で泊まったのは、すごく汚くてフレンドリーなホステル・・・。3人部屋に2人で泊まって、宿泊費二人合わせて4せんえん・・・。
泊まるだけで良ければアリなのかもしれないが・・・。南米のほうが清潔だった、悪いけど。日本ってなんで安いと猛烈に汚くなるんだろう?日本人きれい好きじゃなかったの?
でも洗濯機を使わせてもらえたので、すごく助かった。乾燥機もあったし。

翌朝彼に洗濯を任せ、私は近所の温泉銭湯までビーサンはいて行ってきた。
鹿児島は温泉天国だから銭湯でも温泉が出るそうな。すっきり晴れて、夏みたいに暑くて、湿気は引いて、すごく好きな天気でご機嫌。私の機嫌は常に気温と湿度のバランスに左右される。
宿のシャワーを使うよりはよっぽどましと思って行った西田温泉は、超ローカル!大人になって銭湯って初めて行ったけど、番頭さんがすてきなおばあちゃんで、
「おじょうちゃんきれいね」
と言ってくれた。

おじょうちゃん・・・
あたし32になったんですけど・・・

でもお客さんの層を見ると納得。
体を洗っていると、となりに母娘らしきふたりが来た。お母さんはかなり高齢だけど正座して体を洗っていた。娘さん(もしかしてお嫁さんだったのかも)が背中を流したり、すべらないように支えて湯船までつれていったり、てきぱきと愛をもって仕切っていた。
週末の朝、くもりガラスの窓から日が差して、湯気でもうもうとした銭湯で、とても美しい光景だった。
お風呂を上がったあとも、おそらく初対面同士と思われるおばちゃんとおばあちゃんが、優しい感じで会話していた。あったかいなあ、としみじみして、缶ジュースを飲みながら、またご機嫌で宿へ戻る。

フェリーの出航まで時間があったので水族館にも行った。水族館というのは結構場所によって違う海の生物が展示されており、野生じゃないし〜と言いつつも行く先々で割とチェックしてしまう。
今までの一番のヒットは、ニューカレドニアでなにげなく入った水族館でオウムガイの生きているやつに遭遇できたこと。シュールだった。

鹿児島の水族館にはピラルクがいた。アマゾンで1年間軍医をやっていた彼氏は大喜び。こんな地球の反対側まできちゃってピラルクも大変だなあ。上野にいるガラパゴスゾウリクガメも哀愁漂う感じだし、やはり生まれた土地にいるのが動物の幸せだよなあと思う。
またラッコが強烈だった。近くでぐるんぐるん回転(1日6時間毛の手入れをするために回転するのも構わず毛をかまう)してるのはかわいいが動物臭さを感じると言うか。
一番楽しめたのは、鹿児島の海にはこんな魚たちがいるんですよ、という展示コーナー。すごく豊か。鹿児島県はかなりの広範囲をカバーしているし離島もたくさんあるので、このコーナーが一番見ていてわくわくした。海外行って日本に帰ると、日本が思った以上に自然豊かで驚く。
それでまた原発のこと思って、悔しくなるんだけども。

ともかく水族館を満喫し、道路脇にゴミと同様に指定場所をもうけられている火山灰にカルチャーショックを受けつつ、町歩きを楽しんだ。
黒い砂が地面に目立つな、と思ったが、よく考えてみたら桜島から出る火山灰だった。地元の人は落ち葉のように掃き集めてゴミ袋に入れて、指定の場所に捨てている。
火山と共存している・・・。私たちには衝撃的だった。

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与論島

2011年10月16日

sakurajima ferry

黒豚のとんかつやラーメンなどを食べて、鹿児島中央駅から新港までバスに乗った。
鹿児島新港発、沖縄行きのフェリーは、18時に出る。
このフェリーは、奄美大島や徳之島、そして与論島を経由する。与論島までは19時間。料金は片道ひとり13,400円。東京〜徳島間のフェリーより高く、1時間多く、そしてしょぼい・・・。
座席番号は、うすっぺらいマットの番号。座敷に敷かれたマットの上には毛布と枕があり、まあ横になれば?ということらしい。1部屋に30人以上は入れるようになっていて、これで眠れたらすごいよ、と思ったけど、完全に爆睡できた。

またこれはピースボートも同じだったが、船酔い防止のために船内の気温を低めに設定してある。持参したブランケットと、となりが空いていたのでそこから拝借した毛布を使ってやっとあったかくなった。
シャワーはあったがやはり入らなかった。船には食堂があるが、営業時間が脅威の短さなので、アナウンスとともに券売機へ行かないと食いっぱぐれる。
メニューはトンカツやカレー、ラーメンなどのがっつり系と、ここならではの鶏飯。売店にはおにぎりや菓子パン、スナック類もあったが、売店の営業時間も短い。
テレビのあるスペースには椅子が少ししかなく、とにかく座る場所がないので、しょうがなくマットに横になって過ごした。ほとんど寝るか本を読むか。

一晩寝て、与論島に着くころには船内の乗客数は半分以下になっていた。13時10分、ちょっと定刻より早く到着。
港には知人の夫婦が迎えに来てくれていた。お天気はちょっと曇りだけど、海はみどり。映画「めがね」やいろんな雑誌で見た、あの独特の海の色!

ラッキーなことにご夫婦の友人宅が空いているので、そこを安く貸してくれるとのこと。海まで徒歩3分、オーシャンビューの大きな一軒家を貸し切って、のんびり過ごせることとなった。こんなに素敵なところが待っていてくれたなんて本当に幸せ。

せっかくのテントが無駄にならないようにと豪華なお宅のお庭でキャンプしたり、かわいいヤモリをおいかけまわしたり。10センチ以上はあるバッタが家の中で飛び回って、2mくらいジャンプしてこっちに向かってきたときはさすがに悲鳴を上げた。虫は外で会うに限る。
朝と昼は必ず外のテーブルで海を見ながら食事。海で浮き輪に乗ってぼーっとしたり。
夜は真っ暗なのでヘッドトーチを使って歩いた。よく見ていると大きなヤドカリが道路を横断してたりもする。
道ですれ違う人はみんな挨拶。
どしゃぶりのときだってここの海はなぜか結構青い。

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私たちがお世話になった知人夫婦というのは母の友人で、芸術的なピザとパスタが出てくるレストラン「アマン」のオーナー夫妻。数年前ここに移り住んだ二人は、色々なことを教えてくれ、人を紹介してくれた。
二人は根っからの旅人で、芸術家で、自由人。若かりし頃の旅の話をいっぱいしてくれた。たくさんの人に世話になったので、お返したいとも言っていた。
私も色々な場所で数限りない人にお世話になっているので、すごく恩返ししたい。
今は労働力くらいしか提供するものがなくて申し訳ないが(今回その労働だってろくにできず)、もっと大きな形でしていきたいな〜と思う。
特に自分より若い旅人に何かしてあげられるようにならないと。
いろんなところで人の家の釜の飯食って、寝泊まりさせてもらって、なんか私もやってあげる立場にならないとな、と思った。与論で。

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そして帰路につく

2011年10月22日

yoron

フェリーで鹿児島市まで戻り、朝の到着だったので町歩き。すると維新ふるさと館という博物館に出くわした。
ここで初めて、「君が代」が西洋人の作曲によるものだったと知って衝撃を受けた。オリジナルバージョンをここで聴くことができる。雅楽っぽいと思っていたけれど、単に日本人が元の曲の西洋的な要素をそぎ落として日本風にアレンジしただけだったのだ。知らないことだらけだ。
それにしてもこの維新ふるさと館、すごい予算をかけて作ったであろう設備が至る所にある割に入館料はタダみたいなもの。市が作ったとはいえ、随分予算をつけたなあという印象だ。ロボットが役者の代わりに幕末の歴史を演じてくれるのだ。同時通訳機も各国語揃っているし、至れり尽くせり。

この日は鹿児島空港付近で1泊。翌朝桜島を見ながら離陸した。行きは5日もかかったが、帰りはあっという間だった。

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