Harmonize Nature

mendoza

アルゼンチン

ボリビアからアルゼンチンに国境を越えた途端に、これまでの国々と違い、隅々までルールが張り巡らされているのが分かる。
それが先進国というものなのだろう。
畑は美しく整えられもう野生味あふれる自然の姿ではない。段々と緑豊かになり、初めてなのに懐かしいヨーロッパのような景色に、窓全開で見入る。そしてサルタに着いた。本当に久しぶりの、本物の町だ。
治安はいいし、何より清潔。

サルタ(Salta)

2009年12月12日

salta salta salta salta

サルタでは、生まれて初めてドミトリーに泊まった。それまで2〜3人でシェアしていた部屋が6人部屋になり、二段ベッドになった。物価が変わったので予算に合わせて宿のグレードが下がったのだった。それでも6つのベッドは全てクムカの女子メンバーで埋まり、いつもと大して変わらなかったけれど。

この夜は久しぶりの先進国に全員がはしゃいでいた。一人前で600gもあるステーキに赤ワイン。サルタにも夜遊びのためだけにあるような、六本木のような繁華街があり、そこへ繰り出して朝まで遊んだ。
涼しい明け方、パージと歩いて宿に帰り、6人部屋のベッドがまだ2つ空いているのを確認して、寝た。それぞれに羽目を外した夜だったらしい。でも私はこれで胃を決定的におかしくしてしまった。自分の体が何かがとてもおかしいと訴えていた。何か分からないけど今まで感じたことのない不調を胃に感じる。冷や汗、妙な下痢。

2泊したその宿では、クムカ以外の宿泊客と話したり、ブログを更新したり、おとなしくしていた。

それでようやく落ち着いたかに見えていた胃は、その後ガタガタの山道をトラックで3時間走る間に急激に悪化し、前回とまったく同じ気持ち悪さに襲われた。
サルタ郊外のキャンプサイトへ着くなり、テントを張って倒れこむように寝た。蒸暑い中冷や汗をかきつつ、不安な思いで一晩。翌朝は更に気持ちが悪くなって七転八倒、苦しくて涙まで出てきたので、ツアーからも撮影からも離れ、療養のため一人サルタへ戻ることにした。

ナイトライフが魅力的なサルタではあるが、体調のせいで何もできない。病院に行くと、このとき初めて胃炎と診断された。
ホテルにステイし、ベッドに横になってうとうと考え事しながらテレビを眺めた5日間。下痢もかなり長いこと続いた。その間やることがないので、ドミで知り合ったブラジル人の男の子にメールを打ってみた。メールアドレスを交換していたのだ。まだサルタにいるなら会えるかなと思ったのだが、彼は既にチリのアタカマ砂漠へ移動したあとだった。
ただ、どうやらチリのサンチャゴに行く予定があり、その日程がクムカの日程と1日だけかぶるようだった。もしかしたらサンチャゴで会えるかもしれないね、と言っていた。

5日ほどでやっと下痢が止まり始めたので、長距離バスでぎりぎり追いつける場所にいたツアーに合流すべく、チケットを取りに行った。

   上へ

メンドーサ(Mendoza)

2009年12月21日

mendoza mendoza mendoza

サルタからメンドーサまでは21時間の長距離バス移動だったが、快適だった。クムカのトラックとは雲泥の差だ。これなら何時間でも乗れる。通路を挟んだ隣には、旅行者風の白人の男の子が座っていた。
話してみると音楽が大好きなオランダ人だった。小学校の6年間住んだアムステルダムの話に始まり、色々な話をして、ロックが好きだと言うのでiPodに入っていたX JapanのArt of Lifeを聴かせて感想を迫ったりしたおかげで、ちっとも退屈しなかった。
南米には世界中からバックパッカーが集まっている。自分が旅人になると旅人とも出会う。ツアー以外の時間にも出会いや刺激があり、英語が役に立った。ツアーの行程で動いているとツアーのパッセンジャーとしか関われない。すごくディープなつながりはできるが、制約も多い。
そう考えると、面倒でも自分で交通手段や宿を確保して貧乏旅行する方が、より多くの出会いがある。次はあのフランス人の男の子みたいに、自由気ままにお金を稼ぎながら放浪しようと決意を新たにした。

メンドーサではワイナリーツアーに行って、最後の晩餐を楽しむ。キトから一緒だったメンバーの殆どがここサンチャゴで離脱してしまうのだ。サンチャゴ前の最後の町となるメンドーサで、揃って食事をした。もちろんステーキを食べた。

   上へ
   チリへ
   ボリビアへ戻る
   旅の一覧へ