Harmonize Nature

chile border

チリ

メンドーサでツアーに追いついた翌日、チリ、サンチャゴに向けて出発。
アコンカグアの脇を走り、雪山に囲まれた国境を越えてチリへ。

サンチャゴ(Santiago)

2009年12月22日

サンチャゴのホテルに深夜着くなり、よりにもよって盗難にあった。防犯カメラの死角に置いた荷物から少し目を離した隙に、貴重品だけを入れた小さなバッグ、いつも肌身離さず身につけていたのに油断してそのときだけ外していたそれを、見事に抜き取られてしまった。中に入っていたのは、パスポート、クレジットカード、携帯、iPod nano。自分の荷物が倒れていたので、中身を確認しなくても一目ですぐ分かった。一瞬でいやな予感がした。なんでこうも最悪の事態というのはきれいに予感できるのだろう。

特にパスポートが痛かった。翌日日本大使館に行こうにも、間の悪いことにその日は12月22日、つまり翌日は日本の祝日で閉館しており、24日に出発するツアーから再度ドロップアウトすることを意味していた。この先パタゴニアでは、頻繁にアルゼンチンとチリの国境を行き来する。やむを得ずパスポートがとれるまでツアーから離れてサンチャゴに延泊することになった。ディレクターさんもサポートのために残ってくれた。それでも日記とラップトップとカメラが無事だったことは不幸中の幸いだった。

保険会社やカード会社に国際電話をかけ、防犯カメラを確認させてもらう。プロの犯行であることは一目瞭然。最初から狙われていたようだった。我々をつけるようにロビーに入り、さも関係者のようにうろうろしながら、盗れるものがないか物色していたのだ。そして私が一瞬離れた隙にカメラの死角に入り、カメラから自分の顔が見えないように携帯電話で話すふりをしながら出て行った。現金が殆ど入っていなかった上にカードも携帯もすぐ止めたので、目下の問題はパスポート取得までにかかる日数だった。

やることをやってしまうと翌日は時間ができたので、予定を一日ずらしてサンチャゴに残ってくれた彼と、とりあえず会った。そんな状況で気は動転していたけれど、彼と話すと不思議と幸せな気持ちになった。一緒に動物園に行き、色々な話をした。

さてどうなることかと思われたパスポートも、日本にいる家族と番組製作会社のスタッフさんが戸籍謄本をすぐ取りに行ってくれたおかげで、そして日本大使館の方の親切な対応のおかげで、12月24日に即日発効。戸籍謄本はFAXで処理してもらい、原本は後日郵送でいいことにしてもらえたのだ。ありがとう日本の良くできたシステム・・・クリスマス・イブに、とってもありがたいサンタさんからのプレゼントだった。いい加減なサービスばかりを目にする南米において、日本人の効率の良い仕事のし方は本当にありがたかった。

この日の夜、彼とまた会った。よく晴れた暑い日で、サンクリストバルの丘に登るとミサが始まった。遠くに雪山が見える。そのうち夕日がきれいにあたりを染めて、そして満天の星とサンチャゴの夜景が広がった。
パスポートに引き続き、すごいプレゼントだな、と思った。彼と話していると、これまで誰に言っても通じなかったことが、ことごとく拾われて理解され、大事に考慮されてそっと返って来る。誰にも感じたことのない安心感だった。特別な人に出会ったのだと思った。

翌日、ツアーから1日遅れでプーコンへ追いつくことができた。
一緒に残ってくれていたディレクターさんとバスターミナルへ。たまたまメンドーサ行きのバスを予約していた彼も同じ時刻に出発すると分かっていたので、最後にそこでお別れを言った。今度はいつ会えるのだろう。リオに住んではいるが、私の行く2月にはもう軍医としてアマゾンの駐屯地へ移動しているはずだ。次に会える保証はない。

   上へ

プーコン(Pucon)

2009年12月25日

ツアーに追いつきはしたものの、殆どのメンバーがほぼ初めまして状態で、名前と顔すら一致しない。また既にこのメンバーで結束が固まっているようで、ただでさえ一人アジア人の私は疎外感を覚えた。5人だけが以前からいるメンバーだった。

このあたりから集団生活に距離を置きたくなってきた。キトからスタートして似たような世代のメンバーとわいわいやってきたのはそれなりに楽しかったけれど、いろんな個人旅行者に出会って、自分もそっちのスタイルが向いていることがよく分かってしまった。個人でいた方が現地の人とは間違いなく交流するチャンスが増える。
けれど自分ひとりの時間を大事にすればするほど集団からは浮いて、つらい。カメラはそれでもまわり続けるし・・・明らかに浮いた状態だと、テレビ的に悪いかな、と思って、きつかった。

   上へ
   パタゴニアへ
   アルゼンチンへ戻る
   旅の一覧へ