サン・カルロス・デ・バリロチェ(San Carlos de Bariloche) (アルゼンチン)
2009年12月27日
更に南へ向かい、バリロチェを目指す。奇岩が次々と現れ、そこに雲がかかり、天使の梯子が降りてきて、山々も湖も北欧かスイスのよう。頂に円盤状の雲を載せたラニン火山(Mt Lanin)の雄大さに見とれるうちに、閑散とした国境に到着する。新しいパスポートにアルゼンチンの入国スタンプが再度押印された。
ここは既にパタゴニアの入り口。未知の世界に来た。風の王国の異名を持つパタゴニアでは信じられないことにキャンプの予定が組まれていた。冷たく強烈な風雨に晒され、飛ばされそうになりながらテントを張る。夜はしんしんと冷え込んで、何度も起きてしまうほどだった。
トイレやシャワーのある暖房の効いた建物まで、毛布を巻きつけたまま小雨の降る明け方のキャンプ場を走った。ちょっと前まではサルタで日に焼けていたのに。それでも景色は清らかで厳しくて、凛としている。ナウエル・ウアピ湖(Lake Nahuel Huapi)が海のように波打っていた。月や星がくっきりと出て、自然の力が隅々まで支配していることを示していた。
バリロチェの町はスキーリゾートといった感じで、ログハウスが立ち並び、写真で見るスイスのよう。南米のスイスと実際呼ばれているようで、チョコレートも有名だとのこと。物価は高くヨーロッパ並みだった。
古株メンバーのファラと温泉に行った。日本以外の国で温泉に入るなど初めてだったけれど、水着でぬるい湯につかるし、混浴なので、お温泉というよりプールという感じ。暑い日に行くと気持ちがいいかもしれない。
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エル・チャルテン(El Chalten) (アルゼンチン)
2009年12月31日
緑豊かなスキーリゾートのようなバリロチェから、エル・チャルテンに向かって南下するにつれて、徐々に乾いたパンパになる。木がなくなって、苔のようなもそっとした植物が地面を這うようにぽつぽつと生えている。パタゴニアはガラパゴスのようなぎゅっと凝縮された濃い自然ではなくて、大味でワイルドなサバンナ。色は全体的に茶色いトーンで、ただただ広くて空がきれいな動物の王国。ひたすら走り続けても景色は変わらない。民家もなく、人の気配もなく、不毛の土地のような印象ではあるけど、放牧された羊や牛がのんびりと草を食み、野生動物がトラックの音に驚いて道を横切って逃げて行くのを見ると、動物にとっては過ごしやすい環境なのだと分かる。
パタゴニアといえばガウチョ。ひそかにイケメンのガウチョに出会うことを楽しみにしてきた旅ではあったが、あまりにも広大で人に出会うことはまずない。対向車もない。動物だけは頻繁に姿を見せた。サルタで買ったレゲトンのCDを、同じくサルタで買った中古のCDウォークマンで、ずっと聴きながら窓の外を見ていた。
ラップトップは持っていたがディスクドライブがついていないのでCDを買ってもデータが取り込めないのと、たとえそれができてもiPodは盗まれておりどのみち意味がない。日本から持参するべきだったと後悔しつつ、見たことも聞いたこともないが南米では幅を利かせているらしき中国メーカーの品を買って使っていた。レゲトンとだだっ広いパタゴニアの景色はよく合った。
動物が頻繁に現れる。ダチョウのようなダーウィンレアは家族単位で行動し、父親が子供たちの引率役。我々のトラックにびっくりして逃げるときも、お父さんが逃げ遅れた小さい子をちゃんと待っていた。グアナコは軽々柵を飛び越えていく。マーラ(パタゴニアのうさぎ)は大きく、重たそうにジャンプして逃げる。遠くにフラミンゴの群れが見えることもあった。
そして南米を訪れるにあたり一番楽しみにしていた野生のアルマジロを、念願叶って初めて見た。子供なのか、両手で包みこめそうな大きさ。人間が近寄っても気にせず、真剣に地面に顔をつけて餌を探していた。ぽよぽよと少ない毛がきれいに揃い、光を受けてなびいている。甲冑のような肌が健康そうに輝いていた。素早く歩きまわるのだが、体が脚力に対して軽過ぎるようなバランスの悪さがあり、なんともかわいくて感無量。
丸2日かけて着いたクライマーの聖地、エル・チャルテン。時期的には南半球で言う夏だが、ちょうど東京の冬くらいの気温で、からりと晴れているところも東京の冬に似ている。このできて20年くらいの町には、フィッツ・ロイ山を制覇するべくたくさんのクライマーが世界中から集まっている。
ホステルのリビングスペースではそんな宿泊客たちがアルゼンチン名物のマテ茶を回し飲みしており、味見させてもらった。アルゼンチン、特にこのパタゴニアのあたりでは、マテ茶を片手に持って歩いている人をしょっちゅう見る。濃い緑茶のような茶葉、イェルバ・マテをグアンパというカップに入れ、お湯を注いで、ボンビージャというシルバーのストローで飲む。そこらじゅうに、ガソリンスタンドや博物館にすら当たり前のようにマテ茶用のお湯の自販機があって、皆片手がふさがるのも気にせずマイカップを持ち歩く。最後までこの茶器を買おうか迷った。南米には持ち帰りたいいい文化がありすぎて、欲望を振り切るのに苦労する。
クライマーたちの熱い思いも聞いた。アメリカ人の大学生やハンガリーのクライマーに、何で登るのかと質問攻めにする。本人も、なぜ、の根っこの部分が曖昧なようだ。考えてみればそれも頷ける話で、私が南米にどうしても来たかったように、衝動であって理屈ではないのだ。
ここからはビエドマ氷河へのツアーが出ている。正月早々、生まれて初めて氷河を見、アイゼンをつけて氷河の上を歩いた。そして氷河の虜になった。いるだけでわくわくして楽しくて、安心する。氷に足を載せた瞬間から、無条件にハイになった。地球が大事に育てた秘密の場所のようだった。美しいブルーをこの旅で何度も見たが、この氷河のクレバスが1番だった。見たこともない輝きで、全てが透き通って清らか。見上げる真っ白な氷の壁は、青空に映えて美味しそう。実際ほじくって食べてみたがすっきりと純粋な味で、しみじみと幸せを感じた。氷河湖の色は一面マットでクリーミーなエメラルドグリーン。普通の湖とも海とも全く違う。ああなんて魅力的な色なのだろう。なんて美しいのだろう、この地球は。
強風も寒さもなかなかだったけれど、パタゴニアにいるのだと思えば、嫌ではなかった。
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エル・カラファテ(El Calafate) (アルゼンチン)
2010年1月3日
ロス・グラシアレス国立公園
人生初の氷河体験をしたエル・チャルテンから、美しい氷河湖を見ながらエル・カラファテに向かう。周辺の雪山も見事で、ふと見上げると美しさに絶句する。人が気付いても気付かなくても変わらぬ美しさを保つ自然。その力強い姿は誰に認められなくてもそこにあって、どんな状態のときでもただ堂々としてそこにいる。
他人の評価を気にしすぎては疲れてしまう私には、本当にあるべき姿はこうなのだと言われたような気がして、救われた。即ち、人の評価はともかく自分はこうです、という態度。
ここではペリト・モレノ氷河へ1日ツアー。巨大な氷河を堪能した。ビエドマに続いて、見たこともなかった地球の姿に畏敬の念を抱き、その姿を心に刻む。
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プンタ・アレーナス(Punta Arenas) (チリ)
2010年1月10日
太平洋に面したオトウェイ湾にある、マゼランペンギンの営巣地(Penguineras)を訪れる。吹き晒しの駐車場に観光バスや乗用車を停めて、遊歩道の上を歩くだけでかなりの数の野生ペンギンが見られる。彼らはいつも寝ているか、もしくは今にも寝そう。そして食事しているところよりも、集団で遊んでいるような姿をよく見かけるところが特徴的だ。
動物は本来、デフォルメされたぬいぐるみとは違って全然かわいくない。どんなにかわいい見た目の草食動物でも、食べている姿は獰猛そのもの。リャマやアルパカはかわいい顔に似合わず近寄る人間に唾を吐く。でも必死に生きているのだから人間に媚びている暇はない。いつも野生動物を間近に見る度にその予想以上のそっけなさに戸惑うが、だからこそ野生動物はいい。
真剣に生きているし、その生態は環境となんら違和感なくシンクロしている。無理も無駄もなく、ただありのままに生き、そうすることで周りと調和し、生態系を成り立たせている。何も空回りしていない。人間もそうはなれないものだろうか。皆が皆本当の意味で正直に生きれば、調和できるのだろうか。ちっともかわいくないところがすごくかわいいペンギンを見ながら考えてしまった。
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ウシュアイア(Ushuaia) (アルゼンチン)
2010年1月12日
チリからアルゼンチンへ国境を再度越える。良く晴れて、見渡す限りの地平線と真っ青な水平線に迎えられる。リオ・グランデをフェリーで渡り、いよいよ世界最南端の町ウシュアイア、旅の折り返し地点に到着した。
ウシュアイアは南極に最も近い町で、その距離はエクアドルのグアヤキルからガラパゴスまでと同じ、およそ1000km。海の向こうはもう南極。いつか行ってみたい。自分史上最南端に来ているのだ。すごく遠いイメージだったけど、来てしまった。昨年の今頃は『地球の歩き方』を見ながら、こんなところ、いつか行けたらいいなあと思っていたのに、こんなにあっけなく、1年も経たないうちにそれが実現したのだ。
ウシュアイアでは、そろそろ一人になりたかったのと、寒いところでのテントが嫌だったので、一人ビーグル水道が一望できる丘の上のユースホステルに泊まった。ガラパゴスで泊まった宿と同じように窓から港が見える部屋。あのときも毎晩船の灯りを見ながら眠るのが何とも嬉しかった。
サンチャゴ以来ずっと例の彼とメールでやりとりをしていたが、ウシュアイアでやっとまとまった時間ができたのでスカイプで話し、自分の気持ちをちゃんと言った。彼も同じだった。そして、つきあうことになった。なんだか高校生のようだけど。世界最南端の町で、私にブラジル人の恋人ができた。
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プエルト・マドリン(Puerto Madryn) (アルゼンチン)
2010年1月17日
ウシュアイアから2泊のキャンプを挟んで一気に大西洋側を北上し、プエルト・マドリンへ。道中のパンパは見渡す限りの地平線、右から左まで一直線で、一点透視画法みたい。砂地に低木、緑だけど乾いている。何もない景色をひたすら眺め、レゲトンを聴いていた。
一応まだパタゴニアなのにすっかり暑い、奈良県と同じ面積を持つバルデス半島をツアーで巡った。ここはミナミセミクジラが見られることがハイライトなのに、この時期はちょうど会えないシーズンで、悔しい思いをする。私が今ここにいるのは、クラジと、ガラパゴスのおかげ。クジラには会えなかったが、大西洋はガラパゴスの海と似た、いい色をしていた。
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