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ベネズエラ

ベネズエラの国境を越えて、サンタ・エレナのキャンプ場に着いたのは夜遅く。
ポルトガル語からスペイン語に切り替えられず、いつまでも「オブリガーダ」「ボン・ジーア」と言ってしまう。
同じくブラジルにはまったバルと100回くらい「I miss Brazil」と言い合う。

ベネズエラは色々な意味できつかった。
暇つぶしのように検問をする軍人、ちらりと見えるスラム街、深夜に突然現れた油田なのか石油コンビナートなのか・・・・。
何よりも一番きつかったのがロライマ・トレック。自分のスタミナのなさにもびっくりした。

サンタ・エレナ・デ・ウアイレン(Santa Elena de Uairen)

2010年3月25日

夜サンタ・エレナのキャンプ場に到着。すぐテントを張って、みんなで簡単にパスタを作り食べて、昨晩夜行バスで浴びれなかったシャワーを浴び、翌朝4時の出発に備えて就寝。
しかし、コケコッコー!という威勢のいい鳴き声に起こされる。時計を見ると午前2時半、夜明けには遠い。明日から1週間のトレッキングなんだから何が何でも寝てやる、鶏くらいなんだ、と思い寝袋に潜り込む。ところが隣のテントから人が這い出る音がする。
ジェーンが鶏を追い払おうと奮闘し始めたのだ。しかも、これはこれで結構うるさい。結局ろくに眠れないまま3時半に起床。

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ロライマ・トレック(Roraima Trek)

2010年3月26日〜31日

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ロライマ山(標高2810m)のトレッキングが始まる。この山は、ギアナ高地に100程あるテーブルマウンテンの1つ。このあたりの山頂はパンゲア大陸が分裂するときの回転軸になった部分なので移動することなく、下界からも遮断され、20億年前の姿を今でも留めている。噂によるとコンパスがぐるぐる回るような、磁場の安定しないスポットもあるらしい。見るからにUFOが降りて来てもおかしくないような姿の、神秘の秘境だ。これもインカ・トレイルを経験しているから何とかなるだろう、となめていたことが完全にあだとなった。

移動続きで休む暇もなく迎えた初日は朝4時半にキャンプ場を出発。万全な体調とは言えないが、はじめは平坦な道のりが多く歩きやすい。大好きなクプアスーの皮のような地表の、なだらかな丘がいくつも見える。ここは以前森だったのが、山火事で焼けてしまったせいで、地形がむき出しなのだ。山火事の原因は、火をおこして連絡手段としていたこと、焼畑、ゴミの野焼き等々と、全て人為的な上にあまりにもお粗末。まだキナ臭いくらいのところも通るが、それでも森は力強く美しく再生しようとしていた。元々すごく力強い自然があった場所なのだろうということは、蟻のサイズからもうかがえる。普通の見慣れた蟻のサイズの10倍はあった。

予定より早くキャンプ場についたところまでは良かったのだが、この辺りはものすごくサンドフライ(現地での呼び名は「プリプリ」)が多く、逃げようがない程虫だらけ。立ち止まるとすぐにたかられる。小さい上に音もたてないので、気をつけていても真っ赤な斑点を残していく。刺されると1ヶ月はかゆみが続く。テントの中にもプリプリと蚊が入っていたらしく、暑かったので薄着で寝た私は夜の間に更に全身やられた。メンバーの中でも私が特に集中的に刺されていた。

もしかしたら虫にはロライマの門番のような役割があるのではないか、この神秘の山に私がいい加減な気持ちで登ることを許さないのではないか、帰れと暗に言っているのではないかと考え始めてしまった。この旅で私もかなり虫に慣れてはいたが、サンドフライとなると話は別だ。これがあと5日続くのか・・・と、初日から暗い気持ちになる。

2日目は、強烈な日差しときつくなる傾斜に苦しめられ、虫刺されが気になりトレッキングを楽しめない自分を持て余す。息が上がって顔が真っ赤になっている自分がみっともなくて嫌だなあと思っているところへ、カメラが近づく。よりによってこんなに余裕のないときに。ただでさえ自然と私の関係が壊れているようでナーバスになる中、一切の言葉もなくひたすら撮影されるというのはきつい。最終的には精神的にも抱えきれなくなり、泣きながら歩いて、ロライマの麓のベースキャンプに着いた。

その間、仲間の皆が話を聞いてくれ、笑わせてくれたり、励ましたりしてくれたのが本当にありがたかった。ドライバーになる前は国立公園でガイドをしていたコリンが、一緒に歩いてくれ、珍しい植物を見つけては教えてくれた。バルはうじうじする私に、彼女らしいきっぱりとした口調で愛をもって、「Be positive. It costs nothing.」と言ってくれた。今でもよく思い出す名言だ。彼女は、機嫌がよかろうが悪かろうが常に冷静で、彼女らしさ全開、マイペースそのもの。その姿を見るにつけ、悲劇のヒロインになったりパニックになったりしている私ははっと我に返る。

3日目は虫刺されがかゆくて夜中に目が覚めるほどだったので、抗ヒスタミン剤を飲んだ。この日は麓から一気に頂上に登る一番きついパートだ。私はひたすらきつい登りにめげそうだったのだが、聞いてみると音声さんが風邪をこじらせ熱を出していた。私なんて生理でもなければ風邪でもない。登る以外にやるべきこともない。音声さんは高地に弱く、熱で朦朧としているのに標高1000m分を一気に上がらなければいけない。機材を持って。撮影のため、我々を追い越したりやりすごしたりして何度もすれ違うのだが、その度に励ましてくれた。自分の方が大変なのに。カメラマンさんも万全ではなかった。危険な足場を7キロくらいあるカメラをかついで片目に全神経を集中させて登る。

テーブルマウンテンの麓に入ると、どんどん植物の姿が魅力的になって行く。下から見上げたときには厳しそうな印象の岩肌しか目に入らなかったのに、生命に満ち溢れた、不思議な形の木々や花々。見上げると絶壁がせり出しており、小さな滝でもあるのか上から水滴が降って来て、植物がつやつや輝いて、ハチドリや蝶が舞う。こんな風景が、この世に存在することすら知らなかった、ここに来るまでは。そしてそれをこの目で見ているということに心から感動した。最後は大きな岩が積み重なっているだけの、土砂崩れのあとのような急斜面を、両手を使って登り切った。

やっと着いたロライマの天辺はまるで別の惑星の景色。下界の進化から取り残された原始の姿なのに、何だか未来的でSF映画のようだった。奇岩が連なって色々な想像をかきたてる。大きな地球のテーブルマウンテンの上にちょこんと自分がいるのだ。山大好き人間しか登らないであろうロライマ、気の迷いで来られるような場所ではないのに、文句言いつつも頑張ったら登れてしまった。大変だったけど。メンバー全員の優しさとサポートがあって本当にありがたかった。
テーブルマウンテンの淵まで行って下を見下ろすと、神の視点なのではないかと思う程の雄大な景色だった。登らないと決して見れない景色だ。雲の隙間から天使の梯子がまっすぐ地上まで差して、となりのクケナン山のシルエットが見えて、それとロライマとの間から雲が低く流れ込んで来る。

4日目は1日かけて頂上をトレッキング。ロライマは静かな、下界から忘れ去られた天空の廃墟だ。固有種が75%も占める植物、水晶のざくざく生えている谷、またここの固有種の、泳ぐことも跳ねることもできない小さなカエル、オリオフリネラ等に出会う。肉食植物もここでは普通。
空気がきれいなせいかロライマにいる間中、視力がぐんと良くなったように視界の全てのピントが合って、全てがクリアに見えていた。

ここでは更に足首を中心に、見たこともないタイプの虫刺されができた。固有の虫なのだろうか、他にも何人かやられていたが、気味が悪い。やはり自然が人間を歓迎していない。ここにいてはダメだ、早く帰らないと。なのにバルは安心すると言っている。私はここに歓迎されていないのだろうか。

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一番大変なのは5日目の下山だった。足場がめちゃくちゃ悪かったあの坂を今度は降りる。その上嵐のような暴風雨が来た。脚には疲労が溜まっており、支え切れずに滑って落ちそう。過去の滑落事故の記憶がまたもよみがえり、完全に取り乱して泣きながらの下山となった。

キャンプ場に着いてから冷たい川に入って泳ぎ、やっと落ち着いて色々考えられるようになったら、自分は自然100%の人間ではなく、文明と自然の半々くらいがちょうどいいタイプなんじゃないかと思い、やっと安心できた。こうでなければいけないと思っているのは苦しい。私は自然が好きなら文明から切り離されて虫に刺されまくっても幸せでなければいけないのだと、理想を自分に押し付けていたのだ。中にはそういうタイプの人もいるが私はそうなれない。臭いのも汚いのもある程度以上は無理。それでいいじゃないかと、下山してやっと思えた。

キャンプ場では夜、満月がロライマの隣に昇った。地平線から月が顔を出す瞬間、まるで日の出のようにまわりを赤く照らして。その神秘的な景色を、そこにいた登山客皆で並んで眺めた。ああ頑張ったなあ私、とそのときやっと思えた。蛍も飛んでおり、これも人生で初めて見たので、祝福してくれたのかなと思えた。

6日目やっとサンタ・エレナのキャンプ場に戻った。筋肉痛で階段も降りられない。久しぶりのシャワーをすると、思った以上に虫刺されがひどいことが分かった。顔にもいくつか赤い跡がある。この時の虫刺されがその後居座り続け、帰国後はひどい発疹が全身に出て、その後実に2年以上も皮膚炎に苦しめられることとなり、一時は外出もはばかられるほどだったのだ。それを考えると、無理してロライマに上ったことが賢明な判断だったかどうか、いまだに分からない。20億年前の景色を見た代償は大きかったということか。

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シウダー・ボリーバル(Ciudad Bolivar)

2010年4月1日

休む間もなく下山の翌日には、検問にひっかかりつつシウダー・ボリーバルへと移動した。検問のたびにライフル銃に迷彩服の軍人が全員分のパスポートを見せろと要求したり、トラックに乗りこんで来たりするのがうっとおしい。
彼らはすごくうっ屈して暇そうで、仕事をしているというより単なる興味本位で我々を止めているようだった。一度撮影クルーの乗ったトラックが制止に気付かず検問を通り過ぎたとき、先に止められていた我々の真横で威嚇射撃をしたのには驚いた。これまでの南米の国と明らかに違う。もう南米も潮時だな、と思う程テンションが下がった。

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カナイマ(Canaima)

2010年4月2日

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寝不足と疲労が解消されないまま、世界自然遺産のカナイマ国立公園へ。このめちゃくちゃに詰め込んだスケジュールには全員が疲れ切っていたが、それでもついていかなければいけないのがツアーの辛いところだ。引きずられるようにして参加した。

アウヤンテプイと、そこに流れる世界最長の滝、エンジェル・フォール (Salto Angel)を上空から見る為小型セスナに乗った。巨大なアウヤンテプイはどこまでも連なって、有無を言わせない力強さ、美しさがあり、まるで都市のようなかっこいい地形だ。登るときつくて虫に刺されて駄目だけど、俯瞰で見るといいものだなあと思う。エンジェル・フォールは、乾季の終わりという最も水量の少ない時期ではあったが、小さく虹がかかって可憐だった。

もうこれで充分堪能したのだが、その後カナイマ国立公園内に宿泊してトレッキングなどをする予定が組まれていた。この滞在中、更に虫に刺された。新たに刺されるとそれが既にある虫刺されを刺激して、かゆみが増して起きてしまう。ベネズエラには滞在すればする程エンドレスに刺される。毎晩うんざりしながら抗ヒスタミン剤を飲んで虫除けスプレーをして眠った。

とにかくベネズエラ入りしてからは、この旅で何度も聴いたSuperflyの「愛をこめて花束を」の「きれいなものは遠くにあるからきれいなの」というフレーズを何度もかみしめた。何にでもちょうど良い距離がある。帰国後の肌の状態を考えれば、どんなに暑くても靴下をはいて長袖を着て寝るべきだったと今は思う。

もうさっさと帰りたい・・・と思っていた2泊3日の終わり、グリーンイグアナが慰めるようにロッジの庭に出てきてくれた。爬虫類に出会うと心が和む。あんなに賢くマイペースな生き物はいない。

そしてこれがこの南米一周の旅最後のハイライトだった。あとはカラカスに行って、もう終了なのだ。

また何度も検問に引っかかりながら、カラカスへ向かった。ベネズエラあたりの道路脇のファベラをのぞき見る。転げ落ちそうな急斜面に住居がひしめきあい、家は吹けば飛ぶような粗末な作り。急なこう配で子供たちが裸足で犬と遊んでいる。路地にはどす黒い液体が筋を作っているのが見える。チャベス大統領ご自慢のオイルマネーはどこに使われているのだろう?こんなところで育ってしまったら、美しいものを求める気持ち、良いものを目指す気持ち、そして何よりもそれらを実現可能だと信じる希望のようなものは育ちようがない。こんな本当の貧困を私は間近に見たことがないし、日本でもお目にかかることは珍しい。

日本人は結局のところすごくお金持ちだ。本当に何もないというレベルの貧困は、南米のそれは日本とは全く比べ物にならない。でも世界中できっと、そんな国はたくさんある。世の中の世界規模の重要なことは先進国主導で進むため先進国の常識が判断基準になりやすいが、世の中そんな基準が通用する国の方が少ないのだ。それを何も知らないで、外の世界のことは関係ないよという態度で、海外のニュースに関心すら持たずに生きることは簡単だけれど、経済大国の住人としてそんなのは悲しい。足りているなら他の国での事情を考え、自分の毎日を大きな視点で見直してみれば、普段の意識も大きく変わる。旅をすることの意味はそこにある。

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カラカス(Caracas)

2010年4月5日

val jonathan jane al donna colin lorraine roy john

交通渋滞をかきわけ着いたカラカス。半年をかけて南米大陸を一周したこの3万kmの旅はここで終了する。最後の晩餐をして、翌日にはパッセンジャーもバラバラに。リオからここまで24時間×46日間常に一緒だった人たち。またね!とお別れしても、またすぐに会えそうな気がしてしまう。何よりもまたこの後も荷物をトラックに積んでどこか新しい土地に行くような気がしてしまう。でももう終わりだ。ものすごい勢いで駆け抜けてきて、全然終わるという実感のないまま。

最後のインタビューにも、状況に心が付いていかない状態で臨んだ。そして自分の発する言葉を聞いてやっと、本当にもう旅が終わるんだ、明日からトラックには乗らないんだ、と納得した。ずっと一緒に旅をしてきたクルーのみなさんにぐるっと囲まれて、カメラとマイクを向けられながら。皆それを知っていたように思う。心の準備もしてきたのだろう。でも私は一人、虫に刺されたとぎゃーぎゃー文句を言っていたせいで、最後の大事な時間をすっかりないがしろにしてしまった。毎日移動する生活は最早日常になっていた。常に刺激や発見があって、色んな人種・文化の人と交流があって、そんな旅がもう終わってしまう。失恋するような悲しさがあった。大好きな南米の土地とも、もうお別れなのだ。

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